2015年12月2日水曜日

いい夫婦とは ③

前回に引き続きまして、「夫婦」についてのお話です。

【日蓮聖人から学ぶ「夫婦」とは?!】

ここでは日蓮聖人がおっしゃっている夫婦の在り方について、代表的な三点をあげていきます。

(1)妻は夫を信頼して頑張っていきなさい
   「家に男なければ人の魂なきがごとし」
   「女人となる事は物に随(したが)って物を随える身なり」

(2)夫を支え動かす妻の力を大切にしなさい
   「矢のはしる事は弓の力・・〈中略〉・・男のしわざは女の力なり」

(3)夫婦はお互いを何ものにも代えがたい存在として尊重し合って暮らしなさい
   「男は羽のごとし、女は身のごとし。羽と身と別々になりなば、何を以て飛ぶべき」
   「女人は男を財とし、男は女人を命とす」

日蓮聖人は、夫だから男だから、あるいは働きがあるから女より偉いとか、逆に妻が働きがあるから夫より偉いとかの固定観念は全く持っていらっしゃいませんでした。夫婦の在り方は千差万別であっても、大事な事はお互いを信頼し、尊重する事だとおっしゃっているのです。

【親子は一世、夫婦は二世】

過去・現在・未来を仏教では三世といいます。親と子の関係は現世で終わる一世のもの、夫婦関係は現世と来世の二世に渡るつながりの深いものです。「二世を契る・二世を誓う」とは夫婦になる事、それを誓う言葉として用います。決して親子が冷たい関係であるという事ではないのですが、親子は互いに選ぶ事のできない関係であり、一般的には苦労や努力を重ねて作り上げた関係ではありません。夫婦は本来、他人同士が自分達の意思で作り上げていくものですから様々な葛藤があります。葛藤がある分、絆も深くなります。夫婦は最後の最後まで傍にいて面倒を見ます。「いつまでも伴侶がずっと若く元気でいる」という事はありません。もう結婚生活も長いから・・ではなくその絆の大切さを忘れない事をお釈迦様も日蓮聖人も強くおっしゃっています。

そして、その絆の大切にしている親の背中を見て、子供も「自分も結婚したいな。こんな夫婦を自分も築いていきたいな。」と思います。決して反面教師になる事無く、相手を気遣う配慮・お詫びを入れる勇気を見せていく事は大事な事ですね。元々は他人同士の二人なのですから『親しき仲にも礼儀あり』の心構えが必要なのだと思います。

お札にお願いをする前に、自分で出来る最善の『家内安全』をしていきましょう。

2015年11月29日日曜日

いい夫婦とは ②

なにやら急に寒くなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。
今回はお釈迦様の言葉から「夫婦」について学んで行こうと思います。

【お釈迦様から学ぶ「夫婦」とは?】

昔々、インドにシンガーラという出来の悪い若者がいました。シンガーラの父親は亡くなる直前に息子の事を心配して「六方を礼拝しなさい」と告げました。シンガーラは父親の遺言を守ろうと決意しましたが、肝心の「六方とは何か?」という事を知らなかった為、どうすればよいのかわからず、東西南北上下をただ闇雲に拝みました。シンガーラは「人に言われたからやる」という性格で、物事をしっかり理解しようとはしません。
ある日、この様子を見ていたお釈迦様は「人に言われたからやるのではありません。物事には意味があるのでしょう。六方の礼拝の仕方はそのようなやり方ではありませんよ。」とおっしゃって正しい六方の意味を定義なされました。六方とは人間関係の事であり〈東=親子関係〉〈南=師弟関係〉〈西=夫婦関係〉〈北=友人関係〉〈上=宗教者と在家者の関係〉〈下=主従関係〉です。これらの六つの関係を正しく守る事で、安全に幸福に暮らせる、と説かれたのです。この教えを説いている経典を『六方礼経(ろっぽうらいきょう)』といいます。

六方礼経から学ぶ『夫婦円満の秘訣』!

西の方角というのは夫婦関係です。家族が円満であれば、西の方角から自分を護った事になります。社会では人間関係に困っているという人が多いようですね。円滑な人間関係を築く為に、色々と勉強もします。しかし人間関係といえば、会社との関係・会社の同僚との関係ばかりを考え、家族は人間関係の枠に入らないと思われる方も多いと思います。ところがこれはとんでもない間違いなのです。家族との関係も円滑に出来ない人が社会に対しての人間関係がうまくいくわけはありません。伴侶や子供の気持ちがわからなくても、会社ではリーダー格でいる人もいますが、このようなリーダーは、社会に対しても危険な存在だといわれています。
円滑な人間関係を築きたい方は、まず家族との円満な関係を作るべきで、子供よりも先に伴侶との関係が何よりも大事です。この経典は、元々シンガーラに説かれたものなので、先に、奥さんとの関係が説明されています。必要な条件は五つあります。

①奥さんを誉める事

②奥さんを軽蔑しない事

③奥さんを裏切らない事、不倫しない事

④家の権利を任せる事

⑤奥さんがおしゃれもできるように、服や装飾品などを与えてあげる事

「何だそんな事か」という気もするかもしれません。しかし、2500年前のインドの社会では、女性にも平等な立場があったかどうかわかりません。「女は家の付属品」とおもわれていたのではないでしょうか。これは、お釈迦様が女性の心理をお分かりになって、説かれたものではないかといわれています。

次に、奥さんが夫に対して守るべき五つの条件です。

①仕事を良く処理する

②両家の親族を大切にする

③不倫しない

④家の財を守る

⑤勤勉になすべき事を、上手にこなす

現代社会では、家事をせず外で仕事だけをしたがる女性もいます。また逆に、夫婦共働きなのに、家事は女性だけの責任だと思う男性もいます。お釈迦様は男女平等だと見てらっしゃるのです。男性が外で仕事をするなら、家事は女性の仕事だとここではおっしゃっています。昔は「会社で仕事」という形ではなかったので、家の収入を得る為に、女性もお手伝いした事でしょう。だから、家の財を守る・管理する事などに女性の参加は不可欠だったと思われます。
夫婦でこの10項目をよく理解し、生活するならば、円満な家庭環境を築く事が出来るとお釈迦様はおっしゃっています。

次回は日蓮聖人から「夫婦」について学びます。

2015年11月21日土曜日

いい夫婦とは ①

皆さんお久しぶりです。突然ですが皆さんは11月22日は「いい夫婦の日」というのをご存知ですか?今回はそれにちなんで仏教における夫婦の在り方について書いていこうと思います。

【ひそかなブーム?!仏前結婚式!】

「夫婦」になる第一段階はまず結婚式ですよね。一般的には教会式・神前式・人前式等を目にする方が多いようですが、皆さんは『仏前結婚式』をご存知ですか?一般的に結婚式が宗教とも密接な関わりがある事は皆さんもご存知だと思います。仏前式は日本では古くから行われている結婚式のスタイルですが、厳格なイメージを持っている方も多いのではないでしょうか?特に最近の日本では宗教を持たない人が増えてきた事もあり、宗教にこだわらずに結婚式を挙げる人が多くなっています。仏前式を挙げる人が少なくなったのはそういった無宗教の人が「カタい・地味」というイメージを持つお寺に関心を持ちにくくなった事も、原因の一つとして考えられています。
仏前式は、テレビの映像でもあまり見かける事はありませんので、仏前式というものがよくわからないという方も多いと思います。しかし実際の仏前式を見てみると、非常に趣があり「自分のイメージや考え方にぴったり!」という方も多いのです。

仏前式結婚式の内容・次第は?指輪の交換はできるの?

「仏前」という名前の通り、仏様の前で結婚式を行う為、お寺や自宅のお仏壇の前で行われるのが一般的ですが、中にはホテルや結婚式場でも、仏前式を扱っている所があります。新郎新婦もしくはご家族が信仰する宗派によって、次第が少しずつ変わってくる事もありますが、最近では、無宗教のカップルでも、仏前式の考え方に賛同した場合には、お寺に相談すれば、宗派や宗教に関係なく、仏前式を行ってくれるところも増えています。
式の中では、ご先祖への報告やお数珠の授与・誓杯などが行われます。お数珠の授与は教会式の指輪の交換のようなものと考えられる事も多いのですが、自分達で指輪の交換をしたい場合は、指輪の交換も可能です。

仏前結婚式の魅力(考え方)

教会式と大きく違う所は、「新郎新婦が結婚を誓う」のではなく「結婚する事を仏様とご先祖様に報告する」という意味で行われる事にあります。「運命の人とは、生まれた時から赤い糸で結ばれている」という話を聞いた事がある方も多いと思いますが、まさに仏前式での結婚は、新郎新婦が出会った事・結婚に至った事をお互いの縁、つまり『因縁』と考える事が基本となっています。この『縁』を親や親戚を含めたご先祖に感謝する事で「お互いの縁を大切にする心を持ち続けよう」という考え方で結婚式を行います。
この結婚のあり方・考え方に賛同する人も多く、魅力の一つとなっているようです。仏教を信仰していない場合でも「こういった考え方の結婚式を挙げたい!」と仏前式を挙げるカップルも増えてきている為、ここ最近、ひそかなブームになっているのです。

ウェディングドレスでもOK?!

仏前式の衣装は、一般的には神前式と同じような白無垢と羽織袴ですが、ウェディングドレスなどの洋装で行われる事も珍しくありません。ただ、衣装のレンタルをしている所が併設されている事は少ないので、寺院に相談したり、自分で手配する事が多いようです。

次回はお釈迦様から学ぶ「夫婦」とは?について書いていきます。

今回パソコンの故障等があり更新の間隔があいてしまいました。今後も不定期ですが、いろんなテーマで何かと書いていきたいと思います。今後ともよろしくお願いします。

2015年7月30日木曜日

病と健康と仏教について③

梅雨も明けて本格的に夏がやってきましたね。暑い日が続きますが、水分・塩分・ミネラル等十分にとって元気に夏を乗り切りましょう。

今回は日蓮聖人から学ぶ『病と健康』についてです。

【本当の毒とは?!~日蓮聖人に学ぶお話~】

『日蓮幼少の時より仏法を学び候(そうら)いしが念願すらく、人の寿命は無常なり。出づる息は入る息を待つ事なし。風の前の露、なお喩にあらず。賢きもはかなきも老いたるも若きも定めなき習いなり。されば先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし。』

[訳:日蓮は幼少の時から仏法を学んできたが考えてみるに、人の命は無常である。吐く息は吸い込む息を待つ間もない。風に吹かれて落ちる露よりも儚いものである。賢い人も愚かな人も、老いた人も若い人も、皆いつ死を迎えるか定めのないことである。その為、他の個とはさておいても、何よりも先に自分が死ぬ時に悔いのないような事をまず学ばなければならない(無為に年を重ねないようにしなければならない)。]

これは日蓮聖人が残された言葉です。お釈迦様のおっしゃるように信心し行動に移す事によって寿命を延ばす事はできます。ただ、それも永遠ではありませんね。でもいずれ死ぬからといって、何も考えずに生きていく人はいないと思います。できれば「あぁ・・いい人生だったな。」と思って一生を終わらせたいですよね。では、身体だけ健康であれば、その人の人生は本当にいい人生だったと言えるのでしょうか?

よく人の評判は、結婚式より亡くなった後にわかる、といいます。その方が亡くなった事でどれだけの人が悲しみ、惜しみ、心の中でいつまでも生き続けていくのか・・。そこで日蓮聖人のおっしゃる無為な人生なのかそうでないのかの本質がわかるのかもしれません。

前回のお釈迦様のお話の続きにもなりますが、お話に出てくる“毒”とは・・?本当の私達にとっての“毒”は単に口から飲む訳ではなく、いつの間にか自ら服用しているような気がします。

身近にいえば“矛盾”も人の“毒”になりかねないものの一つです。「健康でありたい。長生きしたい。」と思うけれど、暴飲暴食や運動不足等の不摂生をしたり・・。人には「自分の事をわかってほしい。」と思うけれど、周りの人の気持ちは考えられなかったり・・ついやってしまう“矛盾”ですね。

また“自己中心(自分勝手)”も誰もが取り込んでしまいがちな“毒”となります。お釈迦様のお話の中でもそうですが、例えば自分の親や配偶者等の家族が亡くなればその時は悲しみ、有難みを知るからこそ、家族の言葉と思いを大切にしなければ・・と思います。でも月日が経つにつれていつの間にか人はその気持ちを忘れます。ふとある時「自分はご先祖様に見られても恥ずかしくない生き方を出来ているのか」と問いかけてみる事はしないけれど「自分の両親はじめ家族があの世から見ていてくれている・・。」そう思うからこそいざとなった時、よく「仏様、ご先祖様お助け下さい!」と一生懸命お願いします。でも何もない普段は「今日も無事に朝を迎える事ができました。ありがとうございます。」と本当に思いながら手を合わせる方は少ないかもしれません。もし誰かに自分がお願いばかりされて聞いているのに、いざとなって自分がお願いした時は知らんぷりされるといい気はしませんね。お釈迦様は心が広い方ですが、仏教の中には「そういう自分のわがままばかり考える人生ではいけませんよ」という教えが沢山あります。

強く信じる心や行動、たとえ小さな事でも人に感謝する心を忘れない事、そしてその気持ちをきちんと態度に示す事・・そんな事を歴史を越えていつの世も教えて下さっているのがお釈迦様、日蓮聖人のお言葉(お経)であり、この教えを忘れない事が本当の心の健康につながり、誰しもが素晴らしい人生を築き上げる事ができるのではないかな・・と改めて思います。まさに「病は気から」ですね!


2015年7月19日日曜日

病と健康と仏教について②

前回に引き続き『病と健康』について書いて行きます。今回はお釈迦様のお話です。

【本当の良薬とは?!~お釈迦様に学ぶお話~】

『我等愚痴 誤服毒薬 願見救療 更賜寿命・・』(がとうぐち ごぷくどくやく がんけんくりょう きょうしじゅみょう)
[訳:愚かな私達は誤って毒を飲んでしまいました。どうか治療して下さい。そして寿命をお与えください。・・」

これは日蓮宗でよく読まれる「如来寿量品第十六」の中の《『良医治子』の喩え》に出てくるお経の一部です。このお話しは『法華七喩』の一つでもあります。

昔々あるところに大変知恵があり、沢山の病を治す立派なお医者さんがいました。ある日、そのお医者さんが外国へ出かけている間に、彼の子供達が誤って毒薬を飲んで苦しんでしまいます。帰って来るなりお医者さんは、子供達の為に色・香り・味の優れた薬を作り、早速飲ませようとしました。毒で心を失わずその薬を信じて飲んだ子供達はたちまちに治りましたが、「また苦い毒かもしれない。」と疑って、心を失ってしまって飲まない子供達は苦しみ続けていました。そこでお医者さんはある事を考えつきました。

「子供達よ、よくお聞きなさい。お父さんは今からもう一度外国に行かなければならない。お父さんはもう年寄りだから、いつどこで死ぬかもわからない。もしお父さんが死んでも、きちんと皆で協力して暮らしていくのだよ。そしてここにとても良い薬を置いておくから苦しい時は必ず飲むのだよ。」そういってお医者さんは家を後にしました。その後、彼は子供達の元に使いを出して、「お父さんが旅先で亡くなられました。」と告げさせました。子供達は大変驚き、悲しみ、そして父がいない寂しさと親の有難みを知るのです。そして、薬を飲まなかった子供達が父親の言葉を心から信じて、残していった良薬を飲むとたちまちに病は良くなりました。

子供達の病が完治したという知らせを受けたお医者さんは家に帰り子供達に元気な姿を見せて、親子共々喜び合う事が出来たとの事です。

このお話は〈お医者さんである父親=お釈迦様〉〈色・香・味の優れた(色香美味)良薬=法華経(妙法蓮華経)〉〈子供達=私達衆生〉を表わしているたとえ話です。私達はよくお釈迦様の子供である・・といわれていますよね。

お釈迦様は、「自分がもし入滅しても(亡くなっても)、いつの世も法華経を心から信じ、教えを行う事で、多くの心の病を直す事ができるんだよ。そしていつも、いつの世も見守っているのだから教えを忘れてはいけないよ。」とおっしゃっているのです。

次回は日蓮聖人から『病と健康』について学んでいきましょう。

2015年7月11日土曜日

病と健康と仏教について①

まさに梅雨といった天気の今日この頃ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。

気分的にも身体的にも不調になりやすいこの季節・・という事で今回は『病と健康』について書いて行こうと思います。誰しもが日々健康でありたいと思うものでしょうし、そうある為に大なり小なり努力するでしょうが、『病』というものは誰の身にもある日突然ふりかかったりするものです。その際に少しでも皆さんのご参考になれば・・と思い、仏教的観点から『病と健康と仏教』についてお届けします。

【誰しもが持つ無形の財産】

『四苦八苦』という言葉は皆さん耳にしたことがあるかと思います。その中の誰しもが受ける『四苦』のひとつに『病苦』があります。大きな病にかかった事がある方ならわかる事ですが、これまで健康な方には病気の苦しみと言われてもピンときません。健康を当たり前のように思えるからです。病気の苦しさというのは【病】という字にもそれが教えられています。【病】という字はヤマイダレに〈丙〉と書きますね。これは甲乙丙の〈丙〉です。物事に優劣をつけるのを「甲乙をつける」と昔はいいました。甲乙(優劣)つけがたい時に〈丙〉が登場します。

病気になると自分の病気が一番苦しいとしか思えません。高熱で苦しんでいる時は「高熱ほど苦しいものはない」腹痛で苦しんでいる時は「腹痛ほど苦しいものはない」腰痛・歯痛・頭痛・・今自分が苦しんでいる病が一番苦しいと人は思います。だから「自分のかかっている病気の方が、君の病気よりも楽だ」という事はありませんから、甲乙つけがたいので、〈丙〉の字が使われているといわれています。

最近は健康ブームです。食の安全やサプリメントなどがよく話題にされています。それだけ長生きしたいし、病気で苦しみたくないと思うからですね。でもこれも『四苦』の中の老苦等と一緒で避けようのない事です。それなのに、お金等の目に見える財産は減るとわかりますが、健康等の目に見えない財産はその有難さに気付かず浪費してしまいます。病の苦しみから逃れられないという事は一見ネガティブな感じもしますが、逆に言えば今元気でいる事の有難さを知らされる教えでもあります。

『逆境を越える』という言葉があります。いざその境地に立てば、やはり人はイライラしたり、たじろぎ、うろたえ、打ちひしがれるのが普通だと思います。しかしその逆境を乗り越える為にも様々な事に気付くきっかけとなる病の存在を『病恩』と思い、その心構えを日頃から心がけておく事で、逆境を乗り越える事が出来ると思うのです。

次回はお釈迦様と日蓮聖人のお話から『病と健康』について考えていきましょう。


2015年6月28日日曜日

広川町産業展示会館に行ってきました

段々と気温も高くなってきましたね。

最近、私はお寺で作務衣を着ています。以前ブログで書きましたが、作務衣の“作務”も仏教用語ですね。まさに作務中に作務衣を着ている生活をしています。ただ手持ちの作務衣が春秋用なので少し涼しいものをと思い母のすすめで久留米絣(くるめかすり)を見に、八女市広川町の展示会館に行ってきました。




外観とは打って変わって中に入ると沢山の絣アイテムが飾ってありました。アロハシャツやハーフパンツやハット、バッグやスカート・・・もちろん、もんぺパンツもかわいいものが豊富にありました。更に8月末迄殆どの商品が30%OFF(市が負担されるそうです)だそうでとってもお得です!
好きな布地を選んで作ってもらうのも30%OFFなので2枚ほどイージーパンツを頼みました。仕上がりが楽しみです。お買いもの終わって、アイスコーヒーまで御馳走になって楽しいお話をして下さったおしゃれ店長(実は役所の方だそうで・・)の牛島さん、有難うございました。

個人的にも大好きになった久留米絣は伝統を大切にしながらも職人さんの新しいセンスが取り入れられて、とってもおしゃれになっています。もっともっと広まってもらうよう広川町を応援したいと思います。是非皆さんも8月までにお時間のある方は広川町産業展示会館に行かれてみて下さい。男性も女性も楽しめますよ!
https://www.facebook.com/aisaiichiba








ちなみに写真は母の買った久留米絣のイージーパンツです。

追善供養について③

お布施について

お寺に最もお問合せが多いのがこのお布施についてです。「いくら位包めばよろしいですか?」とお尋ねになる方が多いという事は、施主の方々が一番頭を悩ませていらっしゃる事なのかもしれませんね。最近では金額をはっきり提示されている寺院も多くありますが、常光寺では「お気持ち(志)で構いません」と常にお答えしています。そもそも金額の云々よりお布施の意義を理解しておく事が大切だと、常光寺は考えています。『布施』の語源はインドのサンスクリット語「ダーナ」からきています。「ほどこし」という意味でこの言葉は漢字で「檀那」とも書きます。これはいつしか生活の面倒を見る男性に対する敬称で「旦那様」と呼ばれ、現在の夫婦間でも使われるようになりました。「ダーナ」は略して「檀」ともいわれ、「檀家」もここからきています。ちなみに法事やお葬式の「施主」という言葉は『布施』からきています。『布施』は3種類あります。

①財施
物やお金を施す布施の事。食べ物・飲み物・花・衣服など人の為、社会大衆のためになる物全て。例えば災害が起きた被災地に対して義援金や物資を贈る事も財施になります。

②法施
仏様の教えを説き聞かせ施す事。布施のうちではこれが最も大切だといわれています。なぜなら物を施しても限りがありますが、教えを施す事により、その人の心は正しくなり、本当の安楽安心の境地に至る事が出来る、人にとって最も必要な、限りない無形の部分を得る事になるからです。

③無畏施(むいせ)
法施の中に含まれるともいわれる。日常生活の上での不安や様々な苦悩から救ってあげる事。誰にでも出来る優しい言葉や明るい笑顔で接する事もこれに当てはまります。
私達は日常生活で、自覚するとしないとに関わらず無畏施という施しをしている事になります。それに、お寺による法施と施主による財施を伴わせ、奪い合いではなく、与え合う世界を作る・・というものが追善供養の功徳なのです。ですから、お布施はお坊さんにあげる「お給料」ではありません。時々「お経料」と書いてお布施を渡される事がありますが、これは残念ながら間違いです。お経に対する代価でもありませんので「お布施」と書くのが正解です。

お経の中に「布施は施す者も、受ける者も、また施す物や心も、この3つがいずれも清浄潔白で汚れのないものでなければ御利益も功徳もない」と教えられています。自分が貧しい人や弱い人を見下して「してやってる」という気持ちや、惜しみ惜しみしぶしぶ施すのは布施ではないという意味なのです。お布施の金額に定価はありません。

【貧女の一灯 ~意思が行動の基本~】

紀元前約500年、現在のネパール国境に近いサヘト・マヘトの地にスダッタという大富豪が作った祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)にまつわるお話です。お釈迦様がこの祇園精舎に向かって夜の道をおいでになる時、王様や大富豪達はお釈迦様の為に沢山のお金を出して良い油を買って、立派な大きい灯明を沢山道の脇に照らしたので、暗い夜道も真昼のように明るく照らされました。
そんな中ある一人の身寄りのない女性が、食べ物を求める為に取っておいたわずかなお金を持って油屋へ行きました。油屋は女性の志に感銘して、多目に油を売ってくれましたが、その量は夜中まで持つのがやっとの量でした。彼女はそれでも小さな灯明を道の脇に供えましたが、富豪達はその小さな灯明を馬鹿にしました。夜中になり、突然強い風が吹き、道の両側の灯明は全て消え、お釈迦様の前は真っ暗になってしまいました。しかしよく見てみると、暗黒の中に小さな灯りが見えます。それはあの女性の供えた灯明でした。なぜかこの灯明は次第に明るくなり、遂には煌々と輝いて道を真昼の様に照らし、お釈迦様は無事に祇園精舎に辿り着く事が出来たそうです。
このお話しは、先程のお布施の話につながります。お布施で大切なのは金額の大小ではなく、心であり、しかもこの女性のような一灯の真心なのです。
例えば同じ金額のプレゼントをもらうにしても、相手が軽い気持ちで買ったプレゼントと、自分を一心に思い考え、必死で働いて買ったプレゼントの価値は全然違いますね。お布施も同じです。確かに法要の準備は大変だと思われるかもしれませんが、その方が「目に見えない人に対するものだから、この位でいいや」ではなく、本当の真心をもって供養する事への大切さと感謝の気持ちを込めるのがお布施なのです。そして何よりも、その真心の気持ちを次の世代へとつないでいく事が、現代の私達の最大の課題であり、功徳を積む事になるのではないでしょうか。


2015年6月16日火曜日

京都での修行 僧道林 本圀寺

京都に修行にいってきました

今回の修行は第一段階的なものですので、基本的な作法や生活の仕方等を主に学びます。当たり前ですが、TVも携帯も腕時計もない中で生活の基本は半鐘の合図で動きます。そして一分一秒を無駄にしない事と“給仕の心”というものの大切さをよく指導されました。その中の一つである食事の際のお話しを少ししますね。

準備の時間はとても短いですが、全ての器の向きや配置をそろえる・・実際の日本の懐石料理のようですね。ここからもすでに“給仕の心”です。先生方に醤油差しや急須の口を向けない、ご飯やお茶のおかわりの尋ね方の作法等、普段慣れない一つ一つの事に気付かされました。
日蓮宗では頂きますの際に唱える食法(じきほう)というものがあります。

食法


(食前)
天の三光に身を温め、地の五穀に精神(たましい)を養う、みなこれ本仏の慈悲なり。たとえ一滴の水、一粒(いちりゅう)の米も功徳と辛苦によらざることなし。われらこれによって心身の健康をまっとうし、仏祖の教法(おしえ)を守って四恩に報謝し、奉仕の淨行を達せしめたまえ。南無妙法蓮華経。頂きます。
(食後)
お題目 三唱。ごちそうさまでした。

ちなみに天の三光とは“太陽・月・星”の神様の事です。それらの光によってつくられる大自然の恵みや、その恵みが私達の口に入るまでの様々な行程で携わって下さった方々への感謝の気持ちを表わしているのです。この時、私はある事を思い出していました。以前、給食費を支払っているから「いただきます」と子供達に言わせるのはおかしいというクレームが学校に来たというニュースがありましたね。日本は基本的に生きる為の食べ物には困りません。だから実感はわかないかもしれませんが、だからこそ“いのち”を頂く事の大切さを私達一人一人がかみしめていかなければならないし、私達がその心を絶やさないように伝えていかなければならないと感じました。

似たようなクレームのお話しですと、飲食店やタクシー等のマナーもよく問われるようになりましたね。「払ってやっているから」の気持ちがそうさせているのだと思いますが、これは間違いだと思います。私達が生活する上で誰かや何かの助けを借りる事は沢山あります。それに対して「して頂いた」とどれだけ思えるのかが、本当の心の豊かさを生むのだと思います。

修行の最終日にある先生がおっしゃっていました。修行は「させられている」と思うから、辛いとかきついとしか思えないけれど、「させて頂いている」と思うとそれが自然と楽しいものだと思えるそうです。私は修行に関してだけでなく、仕事や掃除や洗濯等何でもそうだなと思いました。それにむしろ、修行を受ける私達より、敢えて心を鬼にして細かいところまでご指導下さった先生方の方が大変だったとおもいます。今回の修行は終えてみると、“楽”ではなく、豊かになる為の楽しい学びの日々でした。

前回の追善供養についての続きは次回に書きます。

2015年6月2日火曜日

追善供養について②

追善供養にお供えするもの

お供えは「財供養」ともいわれ、仏法を受け伝え、維持していく為に欠かせないアイテムです。ここで、追善供養(法要)に際して準備をしなければならない基本的な財供養をあげておきますので、再確認してみて下さいね。

①香華(こうか)
・線香(お寺での法要の場合はお寺で準備します。)
・新しいお花(まだ開いていない位のお花が理想です。)

②飲食
・綺麗なお水・お茶(出がらしではなく、新しい茶葉で入れましょう。)
・お霊供(ご飯は山盛りです。どうしてもお忙しい場合はご飯のみでも構いません。お寺での法要の場合はお水・お茶と共に、ご飯をお寺で準備します。
・新しいお菓子
・新鮮な旬の果物

今と違って大昔は食べる物も少なく、例えばお米・砂糖・果物などはとても貴重で、一般の家庭では口にする事はできませんでした。そんなご先祖様から巡り巡って、今の私達がいます。ご先祖様がお腹をすかせることなく美味しい物をお腹いっぱい召し上がって頂くよう・・という気持ちも感謝の表れとなり、これらのものが供えられるようになったそうです。

③衣服
・晒(さらし)一反(いったん)
亡くなってから、故人は白い着物を着て旅立たれます。当たり前ですが、この世の私達のように、お風呂に入ったり服を着替えたりはできません。そこで、ご先祖様が新しい綺麗な着物に着替えられるように、晒をお供えします。現在では晒を販売している所も限られている為、代わりに足袋(たび)をお供えしたり、供養の橋渡しをするお寺に、衣替えを依頼するという意味で『更衣(ころもがえ)料』をお供えされる方も増えています。

④灯明(とうみょう)
・ローソク(お寺での法要の場合はお寺で準備します。)

⑤故人の好物
・ご家族や親族は故人が生前お好きなものをご存知だと思います。故人が少しでも喜んで頂けるように考慮してあげる事も、大切な御供養です。ただし、いくら生前お肉やお魚、またニンニクや辛い物などがお好きでも、殺生をするようなものや臭いのきついもの・刺激のあるものは避けましょう。

お供えをする前に、ご家族のお仏壇や仏間を綺麗にお掃除しておくことも忘れないようにしましょうね。

お供え以外に準備するもの

・引き出物
四十九日法要や年忌法要の際、施主は感謝の気持ちを込めて参列して下さった方やお寺に引き出物を準備します。また参列できなかった方でも、故人を偲んで下さった方へは、お礼として贈ります。地方のしきたりなども考えて心あるものを贈りましょう。

・お布施
お寺に最もお問合せが多いのがこのお布施です。これについては次回たっぷりと書いていきたいと思います。

2015年5月23日土曜日

追善供養について①

追善供養は裁判期間?!

亡くなって霊山浄土へ旅立つ人の為に、生きているものが供養する事を『追善供養』といいます。主に読経・斎会(さいえ)〈僧侶を招いてお斎(とき)を催す法会〉、また年忌に仏事を営む事を指します。
人が亡くなってから次の生を受ける迄の49日間を『中陰・中有』といいます。7日ごとに供養し、7回目で他の生を受けると考えられており、中陰が満ちる事から『満中陰』といいます。初七日に始まって7日ごとにお経をあげて供養しますが、これはインドの思想が始まりです。更に中国ではこの四十九日の期間と百ケ日・一周忌・三回忌に『十王』と呼ばれるあの世の裁判官の裁きをそれぞれ受けていく『十王信仰』が生まれました。そして日本では更に七回忌・十三回忌・三十三回忌を加えた『十三仏信仰』が生まれました。ちなみに日本で最初に追善供養を行ったのは聖徳太子だといわれています。また、この十三の裁判官はそれぞれ仏様の化身だと考えられています。この度重なる裁判は、主に生前の善行・悪行に加え、生きている者の供養の姿勢を審判基準として、亡くなった人の行く先が地獄なのか霊山なのかが決まるそうです。現在は一周忌以降は「三」と「七」が付く回忌事に追善供養をし、一般的に五十回忌を故人の長い旅(裁判)の締めくくりとし、仏様の世界に入り、「ご先祖様」になります。中には百回忌を締めくくりとされるご遺族もあります。

追善供養の意義とは?

上に書いたものも含め、追善供養の主な三種類をあげておきます。
①中陰忌(ちゅういんき)法要
臨終の日から四十九日まで7日毎にあげる法要

②年忌(ねんき)法要
年を追って営む法要。皆さんが一般的に「法事」と呼んでいる法要


③月忌(がっき)法要
一般的に「月参り」と呼ばれており、毎月巡ってくる月命日にお坊さんをお招きして営む法要。故人が多いご家族は月のうちに何回も月忌がある事になってしまいますので、先代の当主など、血縁の最も近い方のご命日に一緒に法要を行う事もあります。

まず、この3つの御供養が出来ているでしょうか。上に書いた『追善供養』についてもう少し補足しますと、故人が生前に積めなかった、または積み残した功徳を遺族・親族が代わりに積んであげる事を追善供養といいます。しかし誤解して頂きたくないのは、裁判でいい採点・審判をして頂くために追善供養を行うのではないという事です。
私達の住んでいるこの世界を仏教用語で『娑婆(しゃば)世界』と呼びます。この娑婆世界でのお金や身分、地位などといった“財産”はあくまでもこの世でしか通用しません。死後の世界で通用する“財産”は私達がこの世で積んだ功徳だけなのです。「あの世の財産である功徳を得るには、法華経の教えを聞き、法華経を実践する(法華経の教えにのっとった生活をする)より他にはない」とお釈迦様はおっしゃっています。そして日蓮聖人も「お題目を〈身・口・意〉にわたって受持する事が功徳を積む事であり、後の財産をたくわえる方法である」とおっしゃっています。
要は単なる行事としてとらえるのではなく、法要を機に参列者の方々が読経する事によって、今の自分達を築き上げてくれたご先祖への気持ち、同時にご先祖の遺志を受け継いでより良く生きていく事を誓うのであり、亡き人と生きる人とがこの「対話」をするところに追善供養の意義があります。そしてこの対話のお手伝いをするのがお坊さんであり、故人と私達の絆を築くのはお経とそれに対する信仰心でもあります。これを再確認した上で、次回はその御供養の方法について書いて行こうと思います。

2015年5月2日土曜日

おつとめについて②

おつとめの作法

おつとめは毎日欠かさずつとめることが大切です。家族が食事の前に、お膳、お茶、お水等の供物を捧げ、灯明をあげて、線香を香炉の中央に垂直に立てて、行います。

日蓮宗では次のような次第に従っておつとめが行われます。
その順序の一般的な例を挙げてみましょう。

1 勧請(かんじょう)
久遠釈尊(くおんしゃくそん)をはじめ、法華経に説かれている諸仏諸天善神を招く。

2 開経偈(かいきょうげ)
法華経の功徳を称賛し、信仰の気持ちを表明する。

3 読経(どっきょう)
法華経の肝要な諸品を読誦する。[方便本、如来寿量品(自我偈)、如来神力品(偈)、観世音菩薩普門品(世尊偈)など]

4 御妙判(ごみょうはん)=祖訓
日蓮聖人遺文の一節を拝読する。

5 唱題
題目「南無妙法蓮華経」を心を込めて唱える。最も中心になる行(十篇、三十篇、百篇と繰り返す)。

6 宝塔偈(ほうとうげ)
法華経受持の功徳を称讃する。

7 回向(えこう)
信仰を誓い、功徳を念じ一切の人々にたむける。

8 四誓(しせい)
人々のために努力する誓いの言葉を述べる。

9 題目三唱
最後に題目を三回唱えて、心を正して勤行を結ぶ。

仏壇の前に正座したら、合掌をして心を落ち着かせます。最初にゆっくりと、額が畳につくほど深く拝礼し、姿勢を正してからおつとめを開始します。
最後のお題目三唱後合掌し、心を落ち着けて、静かに、深く礼拝します。

おつとめは自分自身のため、家族のため、亡くなった方のため、縁の有無に関わらず生きとし生けるもののために行うものです。皆様何かと忙しいことが多いかと思いますが、出来る限り朝夕のおつとめを欠かさないようにしたいものですね。


2015年4月26日日曜日

おつとめについて ①

仏壇を前にしての毎日のおつとめは、大切な時間です。おつとめを仏壇の準備、おつとめの時間帯や次第について説明します。

おつとめ前の仏壇の準備

まず、華瓶の水を取り替えて花を飾ります。花はとくべつ華美なもの、匂いのきついものでなければなんでもかまいません。
次に、仏飯器に炊きたてのご飯を盛り、茶湯器にお茶、あるいは湯か水を入れ、高坏に果物やお菓子を白い紙を敷いて供えます。これらは仏様やご先祖様への感謝の気持ちを表わす意味が込められています。故人の好物などを供える時には、お刺身などの生臭さを感じさせるものや、ニンニク・ニラ・ネギなどのにおいの強いものは避けた方がいいでしょう。
また最近では、仏壇に供えたものを捨ててしまう家庭も少なくないようですが、できれば家族でいただくようにしましょう。

続いてロウソクに火を灯し、その火で線香に火をつけて香炉にさします。三本、あるいは一本を立てます。この三本は仏・法・僧の三宝への供養をあらわしています。正式には三本ですが、状況に応じて一本にすることもあります。
集合住宅など、線香の匂いが近隣に流れて苦情が出るおそれのあるときは、匂いの少ない線香を用いるか、場合によっては少し香りが立ち込めた時点で消してもかまいません。
仏様やご先祖様への供養と、気持ちを清めるために線香を供えるのですから、煙たくなるほど線香をたく必要はないのです。消すときは線香の先端を折るようにします。
ロウソクの炎は原則として燃え尽きるまで、あるいはおつとめが終わるまで灯し続けておきます。
ロウソクの炎は仏様への供養と、故人に対して光明を与えるという意味が込められています。いかなる場合でも、消すときは息をかけてはいけません。ロウソク消しで押さえて消すか、手であおるようにして消します。神聖な仏壇の前で、食べ物の生臭さの混じった息をふきかけて消す事は無作法だからです。これは原則ですから覚えておいてください。
なんらかの事情でロウソクが使えない場合は、電気式ロウソクも市販されていますので、それを利用すると良いでしょう。
以上で、おつとめの際の仏壇の準備は整いました。


おつとめはいつ行なうか

おつとめは、自分が生きている事に対して仏様やご先祖様に感謝しながら、自分を磨く糧なのです。つまり心の食事ということですから、毎日朝と晩の二回、少なくてもどちらか一回は行います。
また、できれば家族一緒に行うのが良いでしょう。仏壇を中心に同じ時間を共有する事は、家族の絆を強くするうえでも好ましいものです。ただし生活が多様化した現代社会では難しいかもしれません。その場合は、一週間に一度でもけっこうですから、家族みんなでおつとめをするようにしたいものです。
原則として、洗顔し身支度を整えた朝食前と夕方頃に行います。おつとめ前には手を洗い口をすすぐなどしてからおこなうようにします。


次回はおつとめの作法について書いて行こうと思います。

2015年4月18日土曜日

数珠について

数珠の形と持ち方

数珠(念珠)を以て仏様を念じれば、百八の煩悩が浄化されて苦しみから救われると信じられています。玉の一つ一つが人間の煩悩を表わしているので、玉が百八個あるのが「本連」と呼ばれる正式な数珠です。しかし、その半分の五十四個の半連、さらにその半分の四半連の小さな数珠もあります。
日蓮宗で使われる数珠は百八個のものが一般的です。お求めの際は日蓮宗の数珠を指定して下さい。あるいは菩提寺で授与していただく場合もあります。
仏壇への礼拝のときは、数珠は手に掛けて合掌します。経本を持っている場合は、左の手首にかけます。
また、房の仕立て方によって「装束(しょうぞく)数珠」と「勤行(ごんぎょう)数珠」の二つがあります。「装束数珠」は、儀式の時に僧侶が用い、「勤行数珠」は壇信徒が使います。
また「珠」の材料は、香木・梅・黒檀・菩提樹・水晶・真珠・珊瑚・象牙・石など様々ですが、単なる装飾品のような気持ちで取り扱う事は慎むべきでしょう。


読経する時は、二重にして、左手親指と人差し指のあいだにかけて合掌します。












法要中、勧請・唱題・回向のときには、一重にし、左右の中指の第一関節部分に親玉をかけて数珠を一度ねじってから合掌礼拝します。










その際、右手に二つの房、左手に三つの房がくるようにします。このとき、もんだり、すり合わせたりしてはいけません。













合掌のしかた

合掌は仏前における基本的な動作です。右手は悟りの世界である仏様を、左手は迷いの世界、つまり私達人間をあらわしているといわれ、合掌することは仏様と一体になる事をあらわします。
合掌の仕方は、両方の手のひらをぴったりとつけて、両手の指が自然に合うようにする。このとき、指がゆるんだり、指と指のあいだがひろがらないように注意しましょう。
合掌するとき、背筋を伸ばして、親指の付け根がみぞおちのあたりにくるようにすると、無理のない、きれいな合掌の姿勢ができあがります。
合掌のときには、きちんと正座をする事が基本である。正座をして、背筋を伸ばし、顎をひくことで姿も美しくなり、気持ちも引き締まるでしょう。

2015年4月13日月曜日

筍掘り

先日、常光寺がいつもお世話になっている植木屋の梶原さんが竹林を持ってらっしゃるとの事で、生まれて初めての筍掘りに行ってきました!

普段見るのとは全く違う、立派な筍が沢山採れました!

しかももっと素晴らしいのは竹林の近くにあるご実家(今は誰も住まわれていないとの事)とその周囲の環境!

お家は立派なはりの見える旧家という感じで、お父様が居間の壁に竹を埋め込んでいたり、一枚の板で作った四間もの長い廊下があったり、表には澄んだ川が流れていて一年中川のせせらぎの聞こえる自然を生かした素晴らしいお宅でした。

車が三台程入る大きな納屋には、沢山の懐かしいお宝があり、その中から「みの」を頂いたのでお寺に飾る事にしました。

お庭で一番目を引いたのは、この時期珍しい、真っ赤に染まった大きな紅葉の木。これは樹齢何百年だそうです。

取れたての筍を、たらい位の大きな鍋で下茹でして頂き、更にはたまたまいらした近所の方に、沢山のお野菜を頂いて、お土産三昧の一日でした。大変有難うございました。

なかなか福岡市内では見る事のない素晴らしい環境に感激しましたが、段々と開発の手が伸びてきており、岩でできた川床を壊したりなどされているそうです。こういった日本の大切な自然はできればいつまでも残ってほしいと祈るばかりです。

2015年4月2日木曜日

日蓮宗の仏具について

一般の家庭に最低備えなければならないものが「三具足(さんぐそく)」と呼ばれる燭台(しょくだい)・香炉(こうろ)・華瓶(けびょう)です。なお燭台と華瓶をそれぞれ一対にして「五具足」とする場合もありますが、普通の大きさの仏壇であれば、三具足で十分です。
・燭台(しょくだい) ロウソクを立て、仏壇に灯明(とうみょう)をともします。灯明は仏様や霊位への供養であると同時に、煩悩(ぼんのう)の闇を消す功徳をもつとされます。

・香炉(こうろ)
線香や抹香(まっこう)を焚く為の仏具で、耳つきのものは耳を両側に、三つ足のものは足の一本が手前正面に来るように置きます。

・華瓶(けびょう)
仏前に花を捧げるための花瓶。

・仏飯器(ぶっぱんき)
毎朝、ご飯をお供えするための茶碗。朝はパン食という家は、昼でも夜でもかまいませんので、一日に一回は仏飯器にご飯を盛ってお供えするようにします。また、お供えしたあとのご飯は捨てないで、できるだけ家族でいただくようにしましょう。

・茶湯器(ちゃとうき)
ご飯と一緒にお茶をお供えするための湯飲み茶碗。香炉の奥の中央に配置します。お湯や水でもかまいません。

・高坏(たかつき)
菓子や果物などのお供物を供えるための器。半紙などを敷いてその上に供物を乗せます。

・鈴(リン)
おつとめするときに叩く小さな鐘(かね)。

・数珠(じゅず)
念珠(ねんじゅ)とも呼ばれます。数珠は信仰の証の一つですので、日蓮宗専用のものを使用するように心がけましょう。百八個の珠が入った念珠がよく使われます。これについてはまた詳しく解説します。

・経本(きょうほん)
おつとめで読誦(どくじゅ)されるお経が記載・収録されています。日蓮宗専用のものを求めます。
その他、必要に応じて次のようなものを求めます。

・線香差し
香炉でたく線香を入れておきます。

・木鉦(もくしょう)
読経・唱題の際に用い拍子をとる仏具です。仏教各宗派はほとんど木魚ですが、日蓮宗では多く木鉦を使用します。ケヤキやカエデから作られており、音も高く、軽快なリズムを刻みます。日蓮宗独自の仏具です。

・団扇太鼓(うちわだいこ)
皮を張り団扇の形をした太鼓で、読経、唱題の際に打ち鳴らします。檀信徒が法要中や、御会式(おえしき)などの練行列中に街頭で唱題に合わせて打ち鳴らしたりもします。大変威勢がよく、木鉦とともに日蓮宗独自の仏具です。

・経机(きょうづくえ)
経本や香炉、鈴等を乗せる机のことで、仏壇の前に置きます。

・打敷(うちしき)
錦や金襴の敷物で、上卓(うわじょく)や前卓(まえじょく)に敷いて使用します。とくに、年回法要などの法事の時に特別に用いたりもします。

・灯籠(とうろう)
仏様や霊位に明かりを供養し、加えて仏壇の内部を照らします。最近では灯明には、ほとんど電球が用いられています。

2015年3月29日日曜日

仏事マナー ⑤

前回まではお葬式や法事等の仏事をとり行う側(葬家側)のマナーについてお話ししましたが、今回は仏事に参列する側のマナーについてQ&A形式でお届け致します。

【お葬式のQ&A】

Q 香典に新札を包むのはいけませんか?

A 新札がいけないといわれるのは、死を予測して用意していたようにおもわれるからだという意味があります。最近ではあまり気にされなくはなって来ていますが、まだまだ不快にに感じる年配者の方もいらっしゃいます。ですが反対にあまりにも汚れたお札も失礼になりますのでご注意くださいね。


Q 香典返しが届いたらお礼の連絡をした方がいい?

A 香典返しのお礼は電話でするとお忙しい葬家の方のご迷惑になる可能性もありますので、葉書等での書面(お礼状)で伝える方が良いでしょう。きちんと届いたというお知らせにもなりますので、香典返しが届いてからお礼状はすぐに送りましょう。


Q 香典を渡した後、中身の入れ忘れに気付きました。どいしたらいい?

A 中身が入っていなくても、遺族側からはなかなか申し出にくいものです。中身を入れ忘れた事に気付いたら、すぐに葬儀の世話役か受付の人に連絡します。会場が近いなら、その日のうちに直接持っていきましょう。会場が遠方だったり、直接伺えない場合には、後日お詫びの言葉を添えて現金書留で郵送するようにしましょう。


Q 故人が好きだった赤いバラを贈りたいのですが・・ご霊前にお供えする花は白でなければいけない?

A 亡くなった子供にピンクの花等を贈る事もあります。親しい間柄で、故人が好んだ花を分かっているのなら、その花を贈っても構いません。ただし、どんな場合でも赤等の派手な色は避けた方が良いでしょう。キリスト教に関しては菊・ストック・カーネーション・百合等の白い花をベースにまとめるのが一般的ですが、最近では水色や紫等の色を加えるケースも増えています。


Q 同じマンションの同階に住む住む人が亡くなりました。生前のお付き合いは挨拶程度でしたが、葬儀には行くべき?

A 生前お付き合いしても軽く挨拶程度のお付き合いなら、葬儀に参列する必要はないでしょう。葬儀に参列して、かえって気を使わせる事になりかねません。葬儀の後に顔を合わせた時に「大変でしたね」と声をかけると良いでしょう。


Q お通夜と葬儀に参列するつもりです。香典はいつ渡せばいい?

A 一般的にはお通夜の受付に出して記帳をします。告別式に参列する際にも記帳はしますが、受付で「お通夜の時に香典をお持ちしました」と一言挨拶すると良いでしょう。ただし、地域によってはその都度「お香料」として持っていくところもありますので注意してくださいね。


Q 近所の方が亡くなり、お手伝いに行く事に・・エプロンは白でないとダメ?

A エプロンは白でなくても、黒・グレーなど落ち着いた色がベースのものなら構わないでしょう。伺う時は、取り込み中のご遺族がお手伝いとして立ち働く方々への慰労の意味で、手軽につまめそうなサンドイッチやお菓子等を差し入れすると喜ばれるでしょう。


Q 葬儀には参列できないのでご遺族に電話でお悔やみのご挨拶をしたいのですが?

A ご遺族が悲しみの最中であるのに電話でお悔やみを伝えるのは失礼にあたります。お通夜や葬儀の準備で忙しくされている事も予想されます。よほど親しい人以外、電話は控えましょう。どうしてもご遺族に早く言葉を伝えたい時は、携帯メールや電報を利用した方がよいですね。


Q 葬儀の案内に「ご厚志お断り」の文章がありました。どういう意味?

A 「供物・供花・香典は遠慮します」という意味です。故人としてでも親しい仲だったのに香典を断られて気持ちが済まない時は、後日「お仏壇にお花を供えて下さい」とお花料をお送りするのがよいでしょう。


以上簡単ですが皆様の参考になれば幸いです。その他わからない事はいつでも常光寺へお尋ねください。

2015年3月21日土曜日

仏事マナー ④

前回からの続きです。
なお前回も書きましたが、細かい部分は宗派、地域の習慣等によって違う場合がありますので、大まかな部分での参考として考えていただければ幸いです。

通夜(遺影)の準備
式場を借りた場合、全て葬儀社や世話人代表の方が対応してくれます。自宅で行う場合は家族がある程度監督をしなければならない場合があります。また、御本尊に見守られてとり行う為、家庭の仏壇は開けておきます。遺影は正面を向いていて、かつ故人の人柄が出ているものが良いです。最近は加工処理技術が発達していますので、小さく写っていたり、団体で写っているものしかなくても心配ありません。

通夜
喪主と遺族は弔問(ちょうもん)の時間は故人の傍にずっといて、弔問客に丁寧に挨拶する事に専念します。お悔やみの言葉を伝える側も受ける側も長くなく、言葉少なく心を込めていうべきです。読経中に僧侶又は司会者から指示があり、焼香の時間があります。焼香は喪主以下、席次の順に行います。

喪主の挨拶
焼香が済み、導師(僧侶)が退席されたら喪主の挨拶になります。①参列者への感謝の気持ち②故人療養中のお見舞いや、生前のお付き合い等について③通夜が何宗の何というお寺の何という僧侶によって勤められたのかの報告④通夜ぶるまいの用意がある事を伝えます。

通夜ぶるまい
弔問客にお礼として軽食でもてなす事を「通夜ぶるまい」〈「お斎(おとき)」ともいいます〉昔は精進料理でしたが、最近ではお酒やジュース、仕出しや寿司、折詰が多いです。僧侶が参列しない場合は「お膳料」を「お車代」と一緒に渡します。1時間程度で、喪主や世話人代表がお開きの挨拶をします。

葬儀
要領は通夜とほぼ同じですが、弔辞を述べて頂く方の確認、火葬場に行く方の人数等や行く手段の確認はしておきましょう。

別れ花
僧侶が退席したらお別れの準備に入ります。棺を式場の中心に安置し、蓋を取って身内の者から供えられていた花で故人の周囲を飾ります。納棺の際に入れてなかった故人の愛用品があれば、この時に入れます。

出棺
近親者や故人と親しかった人達で棺を担ぎ、霊柩車に運びます。霊柩車に安置したら、遺族・親族は式場を背にして会葬者に対面する形で並びます。近親者が遺影を持って、喪主は位牌を持ち、挨拶をします。①会葬へのお礼②生前の厚誼(こうぎ)に対する感謝③故人の思い出④遺族への今後の厚誼等を簡潔に述べます。その後霊柩車を先頭に、僧侶→喪主→遺族→親族→世話人代表・・という順番で火葬場に出発します。

荼毘(だび)お骨上げ
火葬の事をいいます。棺が火葬炉に安置され位牌・遺影・花などが飾られ、点火と同時に僧侶が読経・焼香をし、その後葬儀と同じ順番で一同が焼香します。火葬の間、控室で軽食等を頂きながら故人を偲(しの)びます。お骨上げは原則として、渡し橋といって二人一組で行います。〈ちなみにこの事から日常の食事で箸から箸へ食べ物を渡す事が禁じられています。また「箸」と「橋」の同音から、「故人をこの世からあの世への三途の川を渡してあげる」という「橋渡し」に結びつけた習慣です。〉足の方から上半身へと骨を拾っていき、最後に係員の指示で喉仏(のどぼとけ)を喪主が拾います。骨壺は白木の箱に入れて白い布で包み、喪主が抱いて、来た時と道を変えて帰ります。分骨を希望する時はあらかじめ連絡しておきましょう。

初七日
最近では葬儀の日に、初七日忌の法要を行う場合が多くなってきました。帰宅したら、祭壇後に用意されている小机の上に遺骨・位牌・遺影を安置し、提灯を付け、線香を立て、霊膳や水を供え僧侶が読経します。

精進落とし
喪主や遺族がお世話になった僧侶・世話人・親族・知人等にお礼の食事会を接待します。喪主はこの時に、葬儀が無事に済んだお礼の挨拶をします。

以上が大まかな流れです。細かい所は省略しましたが、機会があればまた書いて行こうと思います。

次回はお葬式についてのQ&Aを書いて行こうと思います。

2015年3月20日金曜日

仏事マナー ③

お葬式って本来どういうもの?

元々は、「屍(しかばね)を蔵する」という意味で、その事を日本では「はふり(波夫里)」「とぶらひ」と言っていました。そして、この故人の屍をとむらう儀式を「葬式」「葬儀」といいます。
インドをはじめ世界各地では、大体土葬・火葬・水葬。林野葬の4つに分かれます。各々方法は違っているように見えますが、どれも「屍を大自然へ送りかえす」という共通点があります。死体を上下から隠し見えなくするという意味の「葬」という字体が、草と草の間に「死」と書く事からも自然の大地にかえって行く事を表わしているようですね。
そして、日本の葬式は、葬式を重要視する中国社会を基盤とし時代の流れや科学文化・生活様式の発達変遷と共に移り変わり、現在のスタイルになりました。
ただ、「死」というものは人間の最も大きな苦しみです。この苦しみを克服する為に、宗教的救いがあります。特に仏教(日蓮宗)では、肉体が死んでも、その生命活動は永遠不滅の存在であり、信仰者は死後、お釈迦様がいらっしゃる霊山浄土(りょうぜんじょうど)におもむき、お釈迦様と共に生きていく・・という考えが浸透しています。お葬式は、故人が死の苦しみを乗り越えて霊山浄土への旅立ちを祈り、故人の徳に感謝をし、互いに別れの悲しみを分かち合いながらも、自分自身が明日の人生を生きていく為の大切な儀式ですので、心がこもったものにしていきましょうね。

《納棺後からの簡単な流れ》※宗派・地域の習慣等により多少異なります。

喪主(もしゅ)を決める
亡くなった方の葬式をはじめ、その後の祭祀(法人等)等故人の責任を受け継ぐ人の事を「喪主」と言います。それは遺族の代表であり、多くの場合は長男が喪主となっていましたが、現在では必ずしも長男とはきまっておらず、故人の夫や妻、特別な事情がある場合などは、故人と深い関係にある人の中から決める事もあります。

世話人代表を決める
世話人代表は葬儀に関する業務全般を統括する人で、家族以外の人が担います。一般的には親戚・あるいは故人の友人・町内会の役員や会社の中から、信頼と責任・経験のある人が選ばれます。どうしても故人の周りの方々が無理な場合は葬儀社が代行してくれます。

葬儀社との打ち合わせ
喪主・世話人代表・菩提寺(ぼだいじ)の僧侶と一緒に葬儀に関する綿密な打ち合わせをします。葬儀社は、棺(ひつぎ)の飾りつけ・死亡届から火葬場の手続き・霊柩車、会葬者のマイクロバスや車の手配・故人の遺影などあらゆる世話をしてくれます。しかし、料金は基本料金とオプションに分かれていますので、自分達でできる事と依頼することをきちんと確認しておく必要があります。また最近では葬儀社も多様ですのでどこの葬儀社に決めればよいのかを、周囲の人や菩提寺の住職に相談しておくと尚良いです。

葬儀会場・規模を決める
葬儀会場は会葬者の人数や規模によって決めるようにします。自宅や菩提寺でとり行うのが普通ですが、最近は斎場を借りる事も多いです。公共の場合は、安価で火葬場に付属している事もあり便利ですが、形式的になりがちで、手配を速やかに行わなければなりません。自宅で行う場合は「道路専用使用許可」が必要になります。自宅や菩提寺で行う場合は、菩提寺の住職によく相談して下さい。

葬儀日程を決める
菩提寺と相談しながら、近親者が集まれる日・火葬場の予約も考慮しつつ、通夜と葬儀の日程を決めます。日程が決まったら、故人の氏名・葬儀の日時と場所・喪主・家族・親族・友人代表名等を記入した死亡通知表を作成・印刷して郵送します。親戚や親しい関係の人であれば電話でも構いません。

次回に続きます。

2015年3月14日土曜日

仏事マナー ②

前回に引き続き、お別れ仏事マナーについてお話ししていきます。大切な人とのお別れの時に慌てないための参考になれば幸いです。

枕飾り
故人の枕元に供養の壇を設けます。小さな机の上に白い布をかけ、その上に必要な物を置きます。花瓶には樒(しきみ)又は菊等を一本飾ります。水・枕飯・箸は生前使用していた湯呑・茶碗を使用します。枕飯は必要な量だけ新しく炊いて全て盛り切り、その上に箸を揃えて垂直に立てます。枕団子は米粉(上新粉)をこねて蒸したものを10個以上三宝か皿にピラミッド状に積み上げます。
最近では葬儀社が準備してくれる事もあります。樒は別名仏前草といい、香を焚くのと同じ役割があり、有毒である為魔除けの意味を持ちます。ロウソクや樒(菊等)が一本なのは「二度とこのような悲しい事が繰り返されないよう」という願いが込められています。

枕経
お坊さん(基本的に菩提寺の住職)に枕飾りの前で読経して頂きます。「安らかにあの世へ旅立てるように」と言う意味と、魔が故人に入らないようにする意味を持ちます。
元々は死期が目前となっている人に死の恐怖と不安を少しでも和らげ、安心できるよう、読経するものでした。

納棺
基本的に遺体を安置した夜か翌日の朝に行われます。生前愛用していた品を一緒に納めますが、火葬の関係上不燃物は控えます。ふたには釘を打たずに、棺掛(ひつぎかけ)をかけて祭壇に安置します。
納棺は出来るだけ身内全員で当たるようにして下さい。

(仮)通夜
葬儀の前日に、夜を徹して故人を偲び弔う事をいいます。死後24時間以内は火葬してはいけないという決まりがありますので、死亡時刻が午後遅くなると、葬儀の日が一日延び、翌日に正式なお通夜、死亡当日の夜はごく近親者だけで故人をお守りします。これを「仮通夜」と言います。本来ならば「丸通夜」といって、夜通しで行っていました。現在では「半通夜」といって夜7時頃から始めて2~3時間で終わるケースも多く簡略化されつつあります。
元々は、悪霊や魔物から故人を守る為に一晩中火を灯して過ごしたのが始まりでした。現在も通夜の灯明は一晩中つけておくのが習わしですので、遺族のうち必ず誰か一人は起きて、ロウソクの火を絶やさないようにします。
最近では仕事等の都合上、どうしても葬儀に出席できない方々が出席する場合も多くなってきました。

葬儀・告別式
故人を安らかに霊山浄土へ送る厳粛な儀式の事をいいます。以前は遺族や近親者、特に親しかった人達だけで行われるものでした。告別式は明治以降に作られた新語で、宗教儀礼の意味を含まない「最後のお別れの儀式」の事です。今では葬儀に引き続いて一般会葬者の為に焼香の時間を設ける事を告別式というようになってきています。
正式には葬儀と告別式は別に行うものですが、最近では一緒に済ませる事が多く、葬儀と告別式を同じ儀式だと考えている場合が多くなってきました。

以上が臨終から葬儀までの簡単な手順です。次回は納棺後からの事についてもう少し詳しくお話ししていきます。


2015年3月2日月曜日

仏事マナー ①

3月は何かとお別れの季節でもありますね。そこで仏教でのお別れといえば『お葬式』になります。お葬式に普段から慣れていらっしゃる方も少ないと思いますし、いざとなった時にご家族や親類の方が亡くなった時に、スムーズに行動する事も難しいと思います。そこで、今回はお別れ仏事マナーについてお話ししようと思います。現在は葬儀社の方がアドバイスもして下さいますが、大切な方とのお別れの時ですので、ご自分でも把握されておく事をおススメします。是非参考にされて下さい。

これから二回にわたり書いて行きます。今回は「大切な方との最期のお別れの時・・いざとなったらどうしていいかわからない」という方々の為に、臨終からの簡単な手順をお届けします。

臨終
医師による死亡確認をすると「死亡診断書」が渡されます。同紙の「死亡届」に遺族が記入し、それを役場の戸籍課(24時間受け付けています)に持っていき「火葬認可証」を交付してもらいます。これがないと埋葬も火葬もできませんので早めに対処するよう、注意して下さいね。葬儀社へ葬儀を依頼する場合は代行してもらえる場合もあります。
これから、通夜や葬儀となりますと、関係者に対する心付け等で随時お金がかかるようになり、それ相当の現金を手元に置いておく必要があります。預金など、早めに引き出しておくとよいです。

末期の水(死に水)
臨終を告げられたら、立ち会った家族や近親者は故人に最後の水を飲ませます。新しい割り箸や筆の先にガーゼか脱脂綿を巻き付けて白い糸でゆわえ、それを茶碗の水に浸して軽く唇を濡らします。
お釈迦様が入滅(亡くなる)の際に水を求めたところ、鬼神が応じたという故事に由来しています。故人の痛みを思いやる気持ちを込めて行って下さいね。

連絡
まず、菩提寺(ぼだいじ)に死亡した旨、枕経(まくらぎょう)の依頼の連絡をします。遺族は住職の指示に従ってとり行います。次に、臨終の席に間に合わなかった近親の人々や、生前故人と特別に縁の深かった人、そして葬儀社に直ちに連絡します。
菩提寺とは先祖代々のお墓や位牌(いはい)をおき、死後の冥福を供養するお寺の事です。菩提寺が遠方の場合でも連絡し、指示をあおぎます。

湯灌(ゆかん)
ぬるま湯で遺体を清め、清らかな姿で霊山浄土(りょうぜんじょうど)へ旅立って頂く為のものです。現在ではアルコールで含ませたガーゼや脱脂綿でふき取る事も多くなりました。口・耳・鼻・肛門などに脱脂綿をつめ、男性は髭を剃り、女性は薄い化粧をします。
病院で死亡した場合は看護師さんが手伝ってくれ、清潔な浴衣か和式の寝巻に着せ替えてくれますが、できるところはなるべくご家族や近親者の方の手で行い故人を悼む気持ちを示してあげて下さい。

自宅へ搬送
この時家族の誰かが先に自宅へ行き、故人を迎える部屋を掃除して敷布団を敷いておきます。遺体を温めないように、敷布団は一枚、掛布団は薄手のものにします。遺体が自宅に搬送されたら、用意しておいた布団に寝かせ、顔は白い布で覆います。基本的に、頭は北に向けるのが習わしです。また、布団の胸のあたりに「守り刀」を置く風習もあります。これは故人があの世に行く際の魔除けの意味があります。小刀等でも良いですし、葬儀社が木製の短刀を用意してくれる場合もあります。死装束を着せていない場合は、この時に行います。
北枕にするのは、お釈迦様が入滅された際に「頭北面西右脇臥(ずほくめんさいうきょうだ)」の姿勢、つまり頭を北にして顔を西に向けておられた姿からきたもので、部屋の位置関係でどうしても北枕が出来ない場合は西枕にしても差し支えありません。
守り刀の風習はお釈迦様の弟子となる為の剃髪(ていはつ)の儀式になぞられたものです。

死装束(しにしょうぞく)
故人が旅立ちをする為の衣装の事をいいます。昔はお遍路さんのような恰好でしたが、最近では生前の思い入れのあった衣類を着せる事が多いです。そして、両手は胸の上で合掌させ、数珠を持たせます。納棺の際に行う場合もあります。三途の川の渡し賃なども考えてお金を持たせることも多いです。
最近では葬儀社が対応してくれますが死装束は「故人が旅で不自由しないよう・・」という思いを込めて準備して下さい。

次回は枕飾りから葬儀までについてお届けします。

2015年2月21日土曜日

お香・お線香について

【お香お線香のはじまり】

お香のはじまりは紀元前のエジプトで、やはり宗教上の儀礼の為に焚かれていました。その後インドへ伝わります。元来、インドは酷暑ですので臭気に対する配慮が強く、様々なお香が作られました。古代の人々は、お香に防腐・殺菌作用がある事をすでに知っていたのですね。薫香(くんこう)を特に大切にしたお釈迦様は、単なる香りとしてではなく、自らの邪気を払い、体や心の汚れを除き、清浄な功徳があるものとしていました。仏様の食べ物であると同時に、私達がその香りで、自身の精進の心を増し、仏様の境界に近づく術でもあるのです。

日本では推古3年(595年)日本書紀に最初のお香の話が出てきますが、いずれにしても仏教伝来と共に始まったと言えるでしょう。

皆さんのご家庭にあるお線香もお香の一種ですが、その歴史は江戸時代初期に、中国から伝わった線香製造技術と平安時代から蓄積されたお香の調合法や漢方薬・鉄砲鍛冶等の技術と融合し、お線香の製造が始まりました。それ自体に香料と燃焼材料が練りこまれているので、火をつけるだけでいい手軽さがおおいに喜ばれ、現代に至ってはお香の九割を占めるといわれています。

【お線香は何本?ご焼香は何回?】




お線香の本数・ご焼香の回数は宗派や意義によって違います。日蓮宗では基本的に仏(仏様)・法(仏様の教えやお経)・僧(日蓮聖人や僧侶)に供養する為に三本(回)されますが、一念に心を込めて一本(回)でも良いです。お寺の法要や、お葬式等、人数の多い時は、自分だけ時間を取らないように、喪主の時以外はご焼香は一回にしておくのがおススメです。また、お線香を立てる香炉は、三本足の場合、奥(仏様側)に二本、手前に一本がくるように置きましょう。これは、仏様に尖ったものを向けないようにする為です。香炉に紋がある場合は、紋が手前を向くように置いて下さいね。




2015年1月24日土曜日

開運火焚大祭

1月11日11:00~ 
開運火焚大祭を行いました。
今回も大勢の方々にご参詣いただき誠に有難うございました。
恒例のお上人様による御祈祷の様子です。
しめ縄、お札等は無事に火に納めさせていただきました。
また、当日準備等お手伝い頂いた方々大変ありがとうございました。

バルーンリリース・初詣

ずいぶん遅くなりますが、年始のバルーンリリース・初詣の写真をアップします。

まずは、バルーンリリースから。
当日は風が結構あったので、風船が結構流されました。しかしまだ天候は良かったのが幸いでした。が、翌朝はというと・・・
一面の雪景色!!それどころか時折吹雪いたりしてました。こんな悪天候の中でもご参詣下さった方々本当に有難うございました。
また今年も当山のイメージキャラクターのぴかちゃんの墨絵を木村壱成様に描いて頂きました。ありがとうございました。