2015年6月28日日曜日

広川町産業展示会館に行ってきました

段々と気温も高くなってきましたね。

最近、私はお寺で作務衣を着ています。以前ブログで書きましたが、作務衣の“作務”も仏教用語ですね。まさに作務中に作務衣を着ている生活をしています。ただ手持ちの作務衣が春秋用なので少し涼しいものをと思い母のすすめで久留米絣(くるめかすり)を見に、八女市広川町の展示会館に行ってきました。




外観とは打って変わって中に入ると沢山の絣アイテムが飾ってありました。アロハシャツやハーフパンツやハット、バッグやスカート・・・もちろん、もんぺパンツもかわいいものが豊富にありました。更に8月末迄殆どの商品が30%OFF(市が負担されるそうです)だそうでとってもお得です!
好きな布地を選んで作ってもらうのも30%OFFなので2枚ほどイージーパンツを頼みました。仕上がりが楽しみです。お買いもの終わって、アイスコーヒーまで御馳走になって楽しいお話をして下さったおしゃれ店長(実は役所の方だそうで・・)の牛島さん、有難うございました。

個人的にも大好きになった久留米絣は伝統を大切にしながらも職人さんの新しいセンスが取り入れられて、とってもおしゃれになっています。もっともっと広まってもらうよう広川町を応援したいと思います。是非皆さんも8月までにお時間のある方は広川町産業展示会館に行かれてみて下さい。男性も女性も楽しめますよ!
https://www.facebook.com/aisaiichiba








ちなみに写真は母の買った久留米絣のイージーパンツです。

追善供養について③

お布施について

お寺に最もお問合せが多いのがこのお布施についてです。「いくら位包めばよろしいですか?」とお尋ねになる方が多いという事は、施主の方々が一番頭を悩ませていらっしゃる事なのかもしれませんね。最近では金額をはっきり提示されている寺院も多くありますが、常光寺では「お気持ち(志)で構いません」と常にお答えしています。そもそも金額の云々よりお布施の意義を理解しておく事が大切だと、常光寺は考えています。『布施』の語源はインドのサンスクリット語「ダーナ」からきています。「ほどこし」という意味でこの言葉は漢字で「檀那」とも書きます。これはいつしか生活の面倒を見る男性に対する敬称で「旦那様」と呼ばれ、現在の夫婦間でも使われるようになりました。「ダーナ」は略して「檀」ともいわれ、「檀家」もここからきています。ちなみに法事やお葬式の「施主」という言葉は『布施』からきています。『布施』は3種類あります。

①財施
物やお金を施す布施の事。食べ物・飲み物・花・衣服など人の為、社会大衆のためになる物全て。例えば災害が起きた被災地に対して義援金や物資を贈る事も財施になります。

②法施
仏様の教えを説き聞かせ施す事。布施のうちではこれが最も大切だといわれています。なぜなら物を施しても限りがありますが、教えを施す事により、その人の心は正しくなり、本当の安楽安心の境地に至る事が出来る、人にとって最も必要な、限りない無形の部分を得る事になるからです。

③無畏施(むいせ)
法施の中に含まれるともいわれる。日常生活の上での不安や様々な苦悩から救ってあげる事。誰にでも出来る優しい言葉や明るい笑顔で接する事もこれに当てはまります。
私達は日常生活で、自覚するとしないとに関わらず無畏施という施しをしている事になります。それに、お寺による法施と施主による財施を伴わせ、奪い合いではなく、与え合う世界を作る・・というものが追善供養の功徳なのです。ですから、お布施はお坊さんにあげる「お給料」ではありません。時々「お経料」と書いてお布施を渡される事がありますが、これは残念ながら間違いです。お経に対する代価でもありませんので「お布施」と書くのが正解です。

お経の中に「布施は施す者も、受ける者も、また施す物や心も、この3つがいずれも清浄潔白で汚れのないものでなければ御利益も功徳もない」と教えられています。自分が貧しい人や弱い人を見下して「してやってる」という気持ちや、惜しみ惜しみしぶしぶ施すのは布施ではないという意味なのです。お布施の金額に定価はありません。

【貧女の一灯 ~意思が行動の基本~】

紀元前約500年、現在のネパール国境に近いサヘト・マヘトの地にスダッタという大富豪が作った祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)にまつわるお話です。お釈迦様がこの祇園精舎に向かって夜の道をおいでになる時、王様や大富豪達はお釈迦様の為に沢山のお金を出して良い油を買って、立派な大きい灯明を沢山道の脇に照らしたので、暗い夜道も真昼のように明るく照らされました。
そんな中ある一人の身寄りのない女性が、食べ物を求める為に取っておいたわずかなお金を持って油屋へ行きました。油屋は女性の志に感銘して、多目に油を売ってくれましたが、その量は夜中まで持つのがやっとの量でした。彼女はそれでも小さな灯明を道の脇に供えましたが、富豪達はその小さな灯明を馬鹿にしました。夜中になり、突然強い風が吹き、道の両側の灯明は全て消え、お釈迦様の前は真っ暗になってしまいました。しかしよく見てみると、暗黒の中に小さな灯りが見えます。それはあの女性の供えた灯明でした。なぜかこの灯明は次第に明るくなり、遂には煌々と輝いて道を真昼の様に照らし、お釈迦様は無事に祇園精舎に辿り着く事が出来たそうです。
このお話しは、先程のお布施の話につながります。お布施で大切なのは金額の大小ではなく、心であり、しかもこの女性のような一灯の真心なのです。
例えば同じ金額のプレゼントをもらうにしても、相手が軽い気持ちで買ったプレゼントと、自分を一心に思い考え、必死で働いて買ったプレゼントの価値は全然違いますね。お布施も同じです。確かに法要の準備は大変だと思われるかもしれませんが、その方が「目に見えない人に対するものだから、この位でいいや」ではなく、本当の真心をもって供養する事への大切さと感謝の気持ちを込めるのがお布施なのです。そして何よりも、その真心の気持ちを次の世代へとつないでいく事が、現代の私達の最大の課題であり、功徳を積む事になるのではないでしょうか。


2015年6月16日火曜日

京都での修行 僧道林 本圀寺

京都に修行にいってきました

今回の修行は第一段階的なものですので、基本的な作法や生活の仕方等を主に学びます。当たり前ですが、TVも携帯も腕時計もない中で生活の基本は半鐘の合図で動きます。そして一分一秒を無駄にしない事と“給仕の心”というものの大切さをよく指導されました。その中の一つである食事の際のお話しを少ししますね。

準備の時間はとても短いですが、全ての器の向きや配置をそろえる・・実際の日本の懐石料理のようですね。ここからもすでに“給仕の心”です。先生方に醤油差しや急須の口を向けない、ご飯やお茶のおかわりの尋ね方の作法等、普段慣れない一つ一つの事に気付かされました。
日蓮宗では頂きますの際に唱える食法(じきほう)というものがあります。

食法


(食前)
天の三光に身を温め、地の五穀に精神(たましい)を養う、みなこれ本仏の慈悲なり。たとえ一滴の水、一粒(いちりゅう)の米も功徳と辛苦によらざることなし。われらこれによって心身の健康をまっとうし、仏祖の教法(おしえ)を守って四恩に報謝し、奉仕の淨行を達せしめたまえ。南無妙法蓮華経。頂きます。
(食後)
お題目 三唱。ごちそうさまでした。

ちなみに天の三光とは“太陽・月・星”の神様の事です。それらの光によってつくられる大自然の恵みや、その恵みが私達の口に入るまでの様々な行程で携わって下さった方々への感謝の気持ちを表わしているのです。この時、私はある事を思い出していました。以前、給食費を支払っているから「いただきます」と子供達に言わせるのはおかしいというクレームが学校に来たというニュースがありましたね。日本は基本的に生きる為の食べ物には困りません。だから実感はわかないかもしれませんが、だからこそ“いのち”を頂く事の大切さを私達一人一人がかみしめていかなければならないし、私達がその心を絶やさないように伝えていかなければならないと感じました。

似たようなクレームのお話しですと、飲食店やタクシー等のマナーもよく問われるようになりましたね。「払ってやっているから」の気持ちがそうさせているのだと思いますが、これは間違いだと思います。私達が生活する上で誰かや何かの助けを借りる事は沢山あります。それに対して「して頂いた」とどれだけ思えるのかが、本当の心の豊かさを生むのだと思います。

修行の最終日にある先生がおっしゃっていました。修行は「させられている」と思うから、辛いとかきついとしか思えないけれど、「させて頂いている」と思うとそれが自然と楽しいものだと思えるそうです。私は修行に関してだけでなく、仕事や掃除や洗濯等何でもそうだなと思いました。それにむしろ、修行を受ける私達より、敢えて心を鬼にして細かいところまでご指導下さった先生方の方が大変だったとおもいます。今回の修行は終えてみると、“楽”ではなく、豊かになる為の楽しい学びの日々でした。

前回の追善供養についての続きは次回に書きます。

2015年6月2日火曜日

追善供養について②

追善供養にお供えするもの

お供えは「財供養」ともいわれ、仏法を受け伝え、維持していく為に欠かせないアイテムです。ここで、追善供養(法要)に際して準備をしなければならない基本的な財供養をあげておきますので、再確認してみて下さいね。

①香華(こうか)
・線香(お寺での法要の場合はお寺で準備します。)
・新しいお花(まだ開いていない位のお花が理想です。)

②飲食
・綺麗なお水・お茶(出がらしではなく、新しい茶葉で入れましょう。)
・お霊供(ご飯は山盛りです。どうしてもお忙しい場合はご飯のみでも構いません。お寺での法要の場合はお水・お茶と共に、ご飯をお寺で準備します。
・新しいお菓子
・新鮮な旬の果物

今と違って大昔は食べる物も少なく、例えばお米・砂糖・果物などはとても貴重で、一般の家庭では口にする事はできませんでした。そんなご先祖様から巡り巡って、今の私達がいます。ご先祖様がお腹をすかせることなく美味しい物をお腹いっぱい召し上がって頂くよう・・という気持ちも感謝の表れとなり、これらのものが供えられるようになったそうです。

③衣服
・晒(さらし)一反(いったん)
亡くなってから、故人は白い着物を着て旅立たれます。当たり前ですが、この世の私達のように、お風呂に入ったり服を着替えたりはできません。そこで、ご先祖様が新しい綺麗な着物に着替えられるように、晒をお供えします。現在では晒を販売している所も限られている為、代わりに足袋(たび)をお供えしたり、供養の橋渡しをするお寺に、衣替えを依頼するという意味で『更衣(ころもがえ)料』をお供えされる方も増えています。

④灯明(とうみょう)
・ローソク(お寺での法要の場合はお寺で準備します。)

⑤故人の好物
・ご家族や親族は故人が生前お好きなものをご存知だと思います。故人が少しでも喜んで頂けるように考慮してあげる事も、大切な御供養です。ただし、いくら生前お肉やお魚、またニンニクや辛い物などがお好きでも、殺生をするようなものや臭いのきついもの・刺激のあるものは避けましょう。

お供えをする前に、ご家族のお仏壇や仏間を綺麗にお掃除しておくことも忘れないようにしましょうね。

お供え以外に準備するもの

・引き出物
四十九日法要や年忌法要の際、施主は感謝の気持ちを込めて参列して下さった方やお寺に引き出物を準備します。また参列できなかった方でも、故人を偲んで下さった方へは、お礼として贈ります。地方のしきたりなども考えて心あるものを贈りましょう。

・お布施
お寺に最もお問合せが多いのがこのお布施です。これについては次回たっぷりと書いていきたいと思います。