≪欲令衆≫
諸仏世尊は、
衆生をして仏知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。
衆生に 仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。
衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。
衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。
舎利弗、これを諸仏は唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもうと為く。
仏様は一体どうしてこの世に出現されたのかというと・・それは世の中の大勢の人達に仏の知見(ほとけのちけん:悟り)を開かせる為なのです。「私達人間がなぜ生まれてきたのか、人間として生きていくというのはどういうことなのか・・」この事を私達に悟らせる事だけを唯一の仕事としてこの世に出現されたそうなのです。私達の為に悟りを開いて、示して、悟らしめ、入らしめる・・この「開・示・悟・入」は悟りが次第に深まっていく過程です。
「開」=あらゆるものを汚(けが)れなく見る智慧(ちえ)。これは元々人間の心の奥底に仏性(ぶっしょう)として埋め込まれているのに、普段は煩悩(ぼんのう)という雲で隠れて見えないので、物事を損得等を考えずに見るように気づかせてくれる事を開仏知見(かいぶつちけん)と言います。
「示」=「開」の時点で咲いている花を美しいと思ったとすれば、その花が確かにここにあるんだよ、と実感させる事です。人の行くべき正しい道を示してくれるというのがこの「示」なのです。
「悟」=美しい花を実感するように、物事全てを美しいと私利私欲(しりしよく)なく見る事が出来るようになる事です。
「入」=物事全てを美しいと思うと、今度は存在するもの全ての中に仏様がおられて、その仏様が常に説法しているのだな・・と感じる事が出来ます。ここで初めて本当の悟りになります。
例えば、苦しい経験をしても「嫌な経験だったな」と思うより、これは同じように苦しんでいる人の気持ちがわかり、その人達を救えるようになる為の勉強なんだと感じる事も一つの悟りです。そしてお釈迦様は『この世の生きとし生ける全ての物事人は、全て仏になる事が出来る本性を具(そな)えているのですよ』と何度も伝えられています。つまり、前回書いた増上慢5000人の人々にもそれが当てはまるのだとおっしゃっている事になります。まさに「海よりも広い心」の境地が本当の悟りになるのでしょうね。
次回はいよいよ『妙法蓮華経方便品第二』の現代語訳などを書いていきます。どうぞお楽しみに。
仏様は一体どうしてこの世に出現されたのかというと・・それは世の中の大勢の人達に仏の知見(ほとけのちけん:悟り)を開かせる為なのです。「私達人間がなぜ生まれてきたのか、人間として生きていくというのはどういうことなのか・・」この事を私達に悟らせる事だけを唯一の仕事としてこの世に出現されたそうなのです。私達の為に悟りを開いて、示して、悟らしめ、入らしめる・・この「開・示・悟・入」は悟りが次第に深まっていく過程です。
「開」=あらゆるものを汚(けが)れなく見る智慧(ちえ)。これは元々人間の心の奥底に仏性(ぶっしょう)として埋め込まれているのに、普段は煩悩(ぼんのう)という雲で隠れて見えないので、物事を損得等を考えずに見るように気づかせてくれる事を開仏知見(かいぶつちけん)と言います。
「示」=「開」の時点で咲いている花を美しいと思ったとすれば、その花が確かにここにあるんだよ、と実感させる事です。人の行くべき正しい道を示してくれるというのがこの「示」なのです。
「悟」=美しい花を実感するように、物事全てを美しいと私利私欲(しりしよく)なく見る事が出来るようになる事です。
「入」=物事全てを美しいと思うと、今度は存在するもの全ての中に仏様がおられて、その仏様が常に説法しているのだな・・と感じる事が出来ます。ここで初めて本当の悟りになります。
例えば、苦しい経験をしても「嫌な経験だったな」と思うより、これは同じように苦しんでいる人の気持ちがわかり、その人達を救えるようになる為の勉強なんだと感じる事も一つの悟りです。そしてお釈迦様は『この世の生きとし生ける全ての物事人は、全て仏になる事が出来る本性を具(そな)えているのですよ』と何度も伝えられています。つまり、前回書いた増上慢5000人の人々にもそれが当てはまるのだとおっしゃっている事になります。まさに「海よりも広い心」の境地が本当の悟りになるのでしょうね。
次回はいよいよ『妙法蓮華経方便品第二』の現代語訳などを書いていきます。どうぞお楽しみに。