2014年6月15日日曜日

嘘も方便

『嘘も方便』ということわざがあります。「場合によっては嘘も手段として必要である」という意味です。しかしここで「あぁ、何だ。嘘ってついていいんだ。」と思ってしまうかもしれませんが、それは違います。大切なのは「場合によっては」という部分なのです。
この「方便」という言葉も仏教からきています。簡単にいうと「悟り(仏様)へ近づく方法、あるいは悟りに近づかせる方法」という意味です。皆さんが聞かれる日蓮宗のお経でもよく聞くと「妙法蓮華経方便品第二(みょうほうれんげきょうほうべんほんだいに)・・」とお上人様がおっしゃって始まる機会が多々ありますね。この方便もここから来ています。
つまり『嘘も方便』とは「嘘も仏様が人間を救う方法の一つである」というのが元々の意味なのです。「え?嘘が人を救う?!」・・疑問に思いますよね?そこでこんな話があります。

昔々あるところに子沢山の長者がいました。ある日長者が出かけている間に、家で火事が起きてしまいました。家の中では子供達が留守番をしながら遊んでいます。子供達は遊びに夢中で火事に全く気付いていません。「早く逃げなさい!!」急いで帰ってきた長者は子供達に大声で呼びかけますが、火の恐ろしさを知らないのか子供達は言う事を聞きません。そこで長者は一つの方法を思い出します。「こっちに来たらお前達が欲しがっている立派な車が門の外に並んでいるぞ!」それを聞いた子供達は我先にと走って家の外に出ていきました。するとそこには思っていたよりもさらに立派な車が用意されていたのです。子供達はその車に乗って無事に火事から逃れる事が出来ました。
これは法華七喩の一つで「三車火宅の喩(さんしゃかたくのたとえ)」というお経の中に出てくるお話です。つまり〈長者=お釈迦様〉〈子供達=私達衆生(しゅじょう)〉の事で、〈家の中=三界(人が生死を繰り返し輪廻する世界を欲界・色界・無色界の三つの世界に分けたもの)〉にいる子供達は火事が間近に迫っていても、目の前にある遊びに夢中で(煩悩に覆われて)その事に気付きません。また長者である父(お釈迦様)の言葉(仏法)に耳を傾ける事をしません。そこで子供達に別の教え(方便)で外に連れ出し、そこから更に本当の大切な教えに導き、救ったというお話です。

この話では長者は子供達に確かに嘘を言って外に連れ出していますが、これは子供達を救うためで、本当に「相手の為になる」場合には嘘が必要になることもあるという事なのです。しかし相手を騙して自分だけが得をする嘘や自分を守る為だけの嘘などはだめなのです。とはいっても私達はついついそういう嘘をついてしまうものです。お釈迦様レベルなら可能ですが、私達が方便となるような「嘘」をつくのはとても難しいですね。私達はできる限り正直な心でいきたいものですね・・・。

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