2014年8月24日日曜日

お月見

『お月見』
お盆も終わってそろそろ秋の到来・・というにはなんだか梅雨みたいに雨ばっかりの福岡ですね。今回は少しばかり早いですがお月見について書いていこうと思います。

【十五夜とは?】
旧暦8月15日の満月の夜の事で、『中秋の名月』とも呼びます。秋の真ん中に出る月という意味です。今年は9月8日(月)です。
十五夜にお月見をする習慣は、中国では、唐の時代からの慣習で、里芋の収穫祭として行われたのが始まりです。その後宮廷行事としても行われ、日本には平安時代の貴族の間に取り入れられました。観月の宴や舟遊び(直接月を見るのではなく船などに乗り、水面に揺れる月を楽しむ)で歌を詠み、宴を催しました。次第に武士や町民にも広まり、農作物の収穫を感謝する行事へと発展し、現在に至ります。
元々、十五夜は旧暦の毎月十五日を指していました。月の満ち欠けを基準とする旧暦(太陰暦)では、満月は最もわかりやすい目印であり、生活の節目のよりどころとなっていました。1月15日の小正月や7月15日のお盆等、一年を通じて月々の満月を目印として行事が行われる事が多々ありました。つまり、元々十五夜というのは年に12~13回やって来る事になります。
では、なぜその中でも中秋の名月がお月見の十五夜になったのでしょう?中秋の時期は春や夏に比べると空気が乾燥し、月が鮮やかに見えるからです。冬の月は更に鮮やかに見えますが、寒すぎて鑑賞するには不向きなので、中秋をベストなお月見の時季としたのです。

[何をお供えするの?]
まず、縁側や窓辺など、月が見える場所にお供えします。そこに、ススキや他の秋の七草(萩・桔梗〈ききょう〉・葛・撫子〈なでしこ〉・女郎花〈おみなえし〉・藤袴〈ふじばかま〉)を花瓶に飾り、御酒や月見団子・餅(中国では月餅)・里芋・梨などその時期の農作物をお供えするのが本来のスタイルでした。最近は、お店で買ってきたススキと月見団子をお供えするだけの家庭が多いようですね。
ススキは秋の七草のひとつです。春の七草はお粥にして頂きますが、秋の七草は見て楽しみます。ススキは魔除けの力があると言われており、お供えしたススキを家の軒につるしておくと一年間病気をしないと言われています。
月見団子の個数は、その年の旧暦の月数というのが一般的で、通常は十二個、閏月(うるうづき)のある年は十三個お供えします。
日本版ハロウィンとも言える、『お月見泥棒』という風習が全国にあります。軒先や玄関にお供えした月見団子を子供達が盗み食いするのです。もちろん本当の泥棒ではなく、各家庭でその為にあらかじめ用意しておきます。団子は沢山盗まれた方が縁起が良いとされました。最近では、子供達にお菓子を配る場合もあるようです。
関西から中国地方にかけては、芋類の収穫を祝い、里芋をお供えすることから中秋の名月を『芋名月』ともいうそうです。


〈月に住むのはなぜウサギ?〉
この由来は、元々は仏教のお話からきたものです。「ジャータカ」という古いインドの物語に出てきた影響を受け、日本でも「今昔物語集」に献身的なウサギとして登場してきたことに始まりました。
昔々、天竺(現在のインド)にウサギ・キツネ・サルの三匹が共に熱心に仏教の修業に励んでいました。そこに今にも倒れそうな一人の老人が現れ、「養ってくれる家族もなく、貧しくて食べるものもない」と三匹に訴えました。そこで、サルは木に登って木の実を取ってきたり、里に出て里人の果物や野菜をかすめて老人に与えました。キツネは河原へ行って魚を取ってきたり、墓に供えてあった餅やご飯をかすめてきて老人に与えました。サルは枯葉を拾い集め、キツネがそれに火をつけて食事の支度を始めました。その一方で、ウサギは野を駆けずり回り東西南北あちこち探し求めましたが何も見つけられず、手ぶらで帰ってくるしかありませんでした。そんなウサギを見てサルやキツネはひどく罵(ののし)りました。しかしウサギは言いました。「確かに私は食べ物を奪って持ってくる力はありませんでした。ですから、この身を焼いてお食べ下さい。」と言うが早いか、ウサギは火の中に飛び込んでしまいました。
この様子を見ていた老人はたちまちにして、帝釈天という本来の神様の姿に戻り、全ての生き物達に、このウサギの善行の姿を見せる為に、月の中にウサギを移しました。月のウサギの周りに見える影は、ウサギが自分を捧げた時に出た煙だと言われています。全ての人が月を見るたび、このウサギの行動を思い起こすように・・。

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