2014年5月17日土曜日

鬼子母神様

前回に引き続き「鬼子母神」についてです。
なぜハーリティは王舎城の街で子供達をさらい、食い殺すなどという酷い事をしてしまったのでしょうか?それはお釈迦様がお生まれになるよりもずっと遠い昔に王舎城で起こった出来事に起因していたのです。

昔々のとある日に都のはずれにある牛飼いの女性がたまたま王舎城の街に出てみると、街中がとても賑わっていてまるでお祭りのような雰囲気でした。住民に尋ねてみると、もうすぐ尊い聖者の方が街を訪問されるとの事。人々は幸せに授かろうと、聖者様を迎え入れる為に皆楽しそうに歌い踊っています。その輪の中に彼女も誘われ、一緒になって踊っていました。その最中彼女は激しいお腹の痛みを訴えます。この女性は子供を授かっていたのです。激しく動いたせいでその場で彼女は流産してしまいます。ところがさっきまで一緒に楽しく踊っていた住民達は「自分が悪いんだ。私達は関係ない。」とばかりに誰も女性を助けず、慰めの言葉すらかけず、見て見ぬふりをして福を授かりたいと聖者様をお迎えに行ってしまいました。
心身共に傷ついた彼女は、悲しみにくれながら帰路についていました。その途中都で噂されていた聖者様に出会います。女性は「貧しい御供養ですが御受け下さい」とわずかな牛乳を差し出しました。聖者様は「あなたの願いが叶うように御供養をお受けします」と言ってそれを受け取ります。彼女は感謝し幸せを祈りつつも先程の薄情な都の人達の事が忘れられません。険しい表情と共に祈った願いは「失った赤ちゃんの為に、あの人達も私と同じ苦しみを味わえばいい。私が死んだらきっともう一度この王舎城に生まれ変わって人の子を皆食い殺してやろう。情け知らずは報いを受けるがいい。」というものでした。

そうですハーリティはこの恐ろしい誓いをたてた牛飼いの女性の生まれ変わりだったのです。
このようにこの鬼子母神様のお話はそもそも薄情な王舎城の人々から始まったものですが、それに対し「目には目を」と思い復讐したハーリティにより人々は苦しみます。またハーリティもピンガラを失い苦しみます。


まあ最後はお釈迦様の導きによって、ハーリティは子供達を守る鬼子母神様となり、人々も苦しみから解放されるわけですが、人間というものは苦しみを自分自身で経験しなければ気付かない事が多いのではないかと思います。そしてそこから自分の周りへの感謝・慈しみ・思いやりなどが生まれてくるのかもしれませんね。

0 件のコメント:

コメントを投稿