前回からだいぶ間があいてしまってすいません。今回は妙法蓮華経方便品第二の現代語訳などを書いていこうとおもいます。かなりの長さになりますが、8月に書いた開経偈と共に、皆様がお経を読む時に少しでも助けになれば・・という気持ちを込めてお届けします。
今回は真読(しんどく)・訓読(くんどく)・現代語訳と少しずつ区切って書いていきます。多少見づらいかもしれませんが、ご容赦ください。
【妙法蓮華経方便品第二の現代語訳】
爾時世尊。從三昧。安詳而起。告舎利弗。
爾の時に世尊、三昧より安詳として起って、舎利弗に告げたまわく、
その時お釈迦様は、瞑想(めいそう)を終えられて静かにたちあがられると、舎利弗(しゃりほつ)に向かってこう告げられました。
諸佛智慧。甚深無量。
諸仏の智慧は甚深無量なり。
あらゆる仏(悟った者)の智慧(ちえ:正しく物事を認識し、判断する能力)は他の人々にとっては想像もつかない位、とても奥深いものなのです。
其智慧門。難解難入。一切聲聞。辟支佛。所不能智。
其の智慧の門は難解難入なり。一切の声聞・辟支仏の知ること能わざる所なり。
仏の智慧に至るまで導いてくれるその門は理解しがたく、その中に入っていく事はとうてい難しいのです。教えを直に受けた声聞(しょうもん※1)の弟子や、一人で修業し、悟りを開いた全ての仏弟子(ぶっでし)さえも、それを知る事はできないのです。
所以者何。佛曾親近。百千萬億。無數諸佛。
何以は何ん、仏曾て百千万億無数の諸仏に親近し、
なぜなら、どんな仏もかつて百、千、万、億、いや無数の仏の側(そば)に親しく仕(つか)え、
盡行諸佛。無量道法。勇猛精進。名稱普聞。
尽くして諸仏の道法を行じ、勇猛精進して、名称普く聞こえたまえり。
悟りを得る為にとても沢山の教えを修行し、仏に尽くし、勇気を奮い立たせ、ひたすら精進したからこそ、その名前がこうして広くつたわっているのです。
成就甚深。未曾有法。随宜所説。
甚深未曾有の法を成就して、宜しきに随って説きたもう所
そうしたとても深く、未(いま)だかつて示された事のない教えを全て成し遂げて、人々に対しては、聞く者の状態に応じて適切に教えを説いて来ましたが、
意趣難解。
意趣解り難し。
教え方は適切であっても、その説法の真の目的を理解する事は難しいのです。
舎利弗。吾從成佛已来。種種因縁。種種譬諭。廣演言教。
舎利弗、吾成仏してより已来、種種の因縁・種種の譬諭をもって、広く言教を演べ、
舎利弗よ。私は仏となって以来、様々な実例やたとえ話を用いて、広く教えを伝え、
無數方便。引導衆生。令離諸著。
無数の方便をもって、衆生を引導して諸の著を離れしむ。
巧みな方法を数え切れないくらい用いて、人々を悟りの道へと引き入れ、あらゆる執着から離れさせてきました。
所以者何。如来方便。知見波羅蜜。皆已具足。
所以は何ん、如来は方便・知見波羅蜜皆已に具足せり。
なぜそのような事ができるのかというと、仏は人々を導く為の巧みな方法とそれを使うべき智慧を兼ね備えているからです。
舎利弗。如来知見。廣大深遠。
舎利弗、如来の知見は広大深遠なり。
舎利弗よ。仏の智慧はこのように、限りなく広く深いのです。
無量無礙。力。無所畏。禅定。解脱。三昧。深入無際。
無量・無礙・力・無所畏・禅定・解脱・三昧あって深く無際に入り、
すなわち、全ての人に福を生じさせる徳〈無量〉・教えを説く完全な自由自在の力〈無礙(むげ)〉・この世のあらゆる物事を知る力〈力(りき)〉・何事も恐れる事無く法を説く勇気〈無所畏(むしょい)〉・心の乱れを防いで静かに真理に思いをこらす境地〈禅定(ぜんじょう)〉・あらゆる執着から抜け出て真の安心を得る心の持ち方〈解脱(げだつ)〉・精神を集中してその一念を正しく保つ精神統一の方法〈三昧(さんまい)〉を全て備(そな)え、限りなく奥深い境地に入り
成就一切。未曾有法。
一切の未曾有の法を成就せり。
今まで誰も究(きわ)める事の出来なかった教えの全てを成し遂げているのです。
まだ途中ですがその②へ移ります。
2014年10月1日水曜日
2014年9月6日土曜日
欲令衆のお話
≪欲令衆≫
諸仏世尊は、
衆生をして仏知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。
衆生に 仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。
衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。
衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。
舎利弗、これを諸仏は唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもうと為く。
仏様は一体どうしてこの世に出現されたのかというと・・それは世の中の大勢の人達に仏の知見(ほとけのちけん:悟り)を開かせる為なのです。「私達人間がなぜ生まれてきたのか、人間として生きていくというのはどういうことなのか・・」この事を私達に悟らせる事だけを唯一の仕事としてこの世に出現されたそうなのです。私達の為に悟りを開いて、示して、悟らしめ、入らしめる・・この「開・示・悟・入」は悟りが次第に深まっていく過程です。
「開」=あらゆるものを汚(けが)れなく見る智慧(ちえ)。これは元々人間の心の奥底に仏性(ぶっしょう)として埋め込まれているのに、普段は煩悩(ぼんのう)という雲で隠れて見えないので、物事を損得等を考えずに見るように気づかせてくれる事を開仏知見(かいぶつちけん)と言います。
「示」=「開」の時点で咲いている花を美しいと思ったとすれば、その花が確かにここにあるんだよ、と実感させる事です。人の行くべき正しい道を示してくれるというのがこの「示」なのです。
「悟」=美しい花を実感するように、物事全てを美しいと私利私欲(しりしよく)なく見る事が出来るようになる事です。
「入」=物事全てを美しいと思うと、今度は存在するもの全ての中に仏様がおられて、その仏様が常に説法しているのだな・・と感じる事が出来ます。ここで初めて本当の悟りになります。
例えば、苦しい経験をしても「嫌な経験だったな」と思うより、これは同じように苦しんでいる人の気持ちがわかり、その人達を救えるようになる為の勉強なんだと感じる事も一つの悟りです。そしてお釈迦様は『この世の生きとし生ける全ての物事人は、全て仏になる事が出来る本性を具(そな)えているのですよ』と何度も伝えられています。つまり、前回書いた増上慢5000人の人々にもそれが当てはまるのだとおっしゃっている事になります。まさに「海よりも広い心」の境地が本当の悟りになるのでしょうね。
次回はいよいよ『妙法蓮華経方便品第二』の現代語訳などを書いていきます。どうぞお楽しみに。
仏様は一体どうしてこの世に出現されたのかというと・・それは世の中の大勢の人達に仏の知見(ほとけのちけん:悟り)を開かせる為なのです。「私達人間がなぜ生まれてきたのか、人間として生きていくというのはどういうことなのか・・」この事を私達に悟らせる事だけを唯一の仕事としてこの世に出現されたそうなのです。私達の為に悟りを開いて、示して、悟らしめ、入らしめる・・この「開・示・悟・入」は悟りが次第に深まっていく過程です。
「開」=あらゆるものを汚(けが)れなく見る智慧(ちえ)。これは元々人間の心の奥底に仏性(ぶっしょう)として埋め込まれているのに、普段は煩悩(ぼんのう)という雲で隠れて見えないので、物事を損得等を考えずに見るように気づかせてくれる事を開仏知見(かいぶつちけん)と言います。「示」=「開」の時点で咲いている花を美しいと思ったとすれば、その花が確かにここにあるんだよ、と実感させる事です。人の行くべき正しい道を示してくれるというのがこの「示」なのです。
「悟」=美しい花を実感するように、物事全てを美しいと私利私欲(しりしよく)なく見る事が出来るようになる事です。
「入」=物事全てを美しいと思うと、今度は存在するもの全ての中に仏様がおられて、その仏様が常に説法しているのだな・・と感じる事が出来ます。ここで初めて本当の悟りになります。
例えば、苦しい経験をしても「嫌な経験だったな」と思うより、これは同じように苦しんでいる人の気持ちがわかり、その人達を救えるようになる為の勉強なんだと感じる事も一つの悟りです。そしてお釈迦様は『この世の生きとし生ける全ての物事人は、全て仏になる事が出来る本性を具(そな)えているのですよ』と何度も伝えられています。つまり、前回書いた増上慢5000人の人々にもそれが当てはまるのだとおっしゃっている事になります。まさに「海よりも広い心」の境地が本当の悟りになるのでしょうね。
次回はいよいよ『妙法蓮華経方便品第二』の現代語訳などを書いていきます。どうぞお楽しみに。
2014年9月2日火曜日
方便品(ほうべんぽん)のお話
先月、「開経偈(かいきょうげ)」について書きましたが、それに続きまして今回は「方便品(ほうべんぽん)」について書いていこうと思います。ここからが本格的なお経の始まりで、少しずつ難解になっていきますが、皆さんがよく読まれるお経ですので、これから書く解説が少しでも参考になれば幸いです。
【妙法蓮華経方便品第二(みょうほうれんげきょうほべんぽんだいに)ほどんな意味?】
日蓮宗のお経のうち、最もよく読まれる二つのお経の中の一つです。『第二』とありますが、お釈迦様の説かれた法華経は全部で二十八(品)あります。その中の2番目のお経という意味です。では方便品はどういうお経なのでしょうか?
まず「方便」の「方」=「正しい」、「便」=「手段」という意味です。つまり「方便」は「正しい手段」→「悟り(仏様)へ近づく方法、悟りに近づかせる手段」という事になります。
お釈迦様の真実の教えは法華経にある、と言われています。この方便品はまさに、仏になる為の手段を主題にしているお経です。ちなみに、一番初めのお経である序品(じょほん)第一では、お釈迦様が深い瞑想(めいそう)に入られたお話が内容となっていて、お釈迦様の説法はこの方便品から始まり、法華経における大変重要な事を意味するといわれているので、いつもこのお経が読まれます。では、どんな重要な内容なのでしょう?
お釈迦様は遠い過去に、沢山の仏様に仕え、この上なく深い教えを悟られました。更に、ご自身も仏となってからはその教えを様々な人に合わせて、前世の物語や喩(たと)え話を通して伝えていき、導いて来ました。そんなお釈迦様は「仏の心は仏になった人しかわからないのだよ」として、その尊い教えは仏様だけが極める事ができ、その真理を理解する事はとてもたやすい事ではないと、方便品の中で何度もおっしゃっています。私達の世界でもよく聞かれる「親の気持ちは親になった人にしかわからない」のと同じような感覚でしょうね。
このお経の中では「舎利弗(しゃりほつ)」という言葉がよく出てきます。これは、お釈迦様の十大弟子のお一人で、徳と智慧(ちえ:正しく物事を認識し判断する能力)に非常に優れた方でした。そんな舎利弗の智慧をもってしても、最高の教え・真理を知る事は困難だと言われました。それでも舎利弗は弟子達を代表して、何度もお釈迦様に「どうか私達にもその真理をお説きください」とお願いしましたが、お釈迦様はその都度、「やめましょう。もしこれを説いたなら、全ての人々はただ驚くばかりでとても信じられないだろう。」とお断りします。現代語訳を読んで頂けるとわかると思いますが、実は私達がよく読んでいる方便品は、この舎利弗さんに対して、お釈迦様がお断りしているシーンで、実際の方便品のほんの最初の部分です。
その後、あまりにも熱心な舎利弗のお願いに、お釈迦様もその気持ちに応える事にしたのですが、この後お釈迦様の案じていた事が的中してしまいます。お釈迦様がいざお話をされようとした時、その場にいたひとびとの中から突然、5000人のお弟子さん達が、スタスタとその場を立ち去ってしまったのです。彼らは自分達がすでに悟っている完成型だと思い込んでいた為、仏にしかわからないとプライドを傷つけられ、怒って去っていったのです。ちなみにこういう思い上がったプライドの高い人達の事を仏教では「増上慢(ぞうじょうまん)」といいます。私達の時代にもこの「増上慢」さんはチラホラ見かけますね。いつでも自分だけが正しく、絶対なのだから人の意見に耳を貸そうとしない、そして相手を見下してしまいます。そういう人が一人でもいるといつの世もその場の雰囲気は決して良い物ではありませんね。
お釈迦様は結局その5000人の人々に対して引き留める事はせず、「退(の)くのもまたいいでしょう。」とおっしゃったそうです。本当の真実というものは誰にでも聴かせるものではなく、まずは本当に必要としている人達に聴かせるものだとお考えになったのですね。「お釈迦様の教えはもうわかっている、これ以上聞く必要はない。」という考えの人と「お釈迦様が説かれるのだから、何度聞いてもいいし、また聞くたびにその教えが一層深くなるな。」という考えの人との違いで他人の言う事を謙虚に聞くという慎(つつし)みを持てるのかどうか・・それも教えの一つのはずです。お釈迦様はそんな聞く耳を持たず、もう他の何も入り込む余地がなくなっていった人々に、「それならもう聞かなくていいよ」とばかりに潔(いさぎよ)い判断をされたのです。
さて、増上慢の人々が去って、本当に教えを求める人達だけになるとお釈迦様は「いよいよ説くべき時が来ました。この法華経はしばしば説かれるものではなく、3000年に一度しか咲く事がないといわれる優曇華(うどんげ)の花の様に、説くべき時が来なければ説かないのですから、心して聴くのですよ。」と語り始められました。きっとこの場にいた人達はワクワクした事でしょうね!
そしてお釈迦様は『出世の本懐(しゅっせのほんがい:仏様がこの世に生まれた真の目的)』を説かれます。それがお経本に載っている『欲令衆(よくりょうしゅう)』の最初の部分です。実はこれも方便品の一部なのです。ちなみに先程の5000人のお弟子さん達が去っていったお話等も方便品のお経として、元々の正式なお経本に載っています。
少々長くなってしまいましたが、次回はこの欲令衆の最初の部分の解説を書いていこうとおもいます。
【妙法蓮華経方便品第二(みょうほうれんげきょうほべんぽんだいに)ほどんな意味?】
日蓮宗のお経のうち、最もよく読まれる二つのお経の中の一つです。『第二』とありますが、お釈迦様の説かれた法華経は全部で二十八(品)あります。その中の2番目のお経という意味です。では方便品はどういうお経なのでしょうか?
まず「方便」の「方」=「正しい」、「便」=「手段」という意味です。つまり「方便」は「正しい手段」→「悟り(仏様)へ近づく方法、悟りに近づかせる手段」という事になります。
お釈迦様の真実の教えは法華経にある、と言われています。この方便品はまさに、仏になる為の手段を主題にしているお経です。ちなみに、一番初めのお経である序品(じょほん)第一では、お釈迦様が深い瞑想(めいそう)に入られたお話が内容となっていて、お釈迦様の説法はこの方便品から始まり、法華経における大変重要な事を意味するといわれているので、いつもこのお経が読まれます。では、どんな重要な内容なのでしょう?
お釈迦様は遠い過去に、沢山の仏様に仕え、この上なく深い教えを悟られました。更に、ご自身も仏となってからはその教えを様々な人に合わせて、前世の物語や喩(たと)え話を通して伝えていき、導いて来ました。そんなお釈迦様は「仏の心は仏になった人しかわからないのだよ」として、その尊い教えは仏様だけが極める事ができ、その真理を理解する事はとてもたやすい事ではないと、方便品の中で何度もおっしゃっています。私達の世界でもよく聞かれる「親の気持ちは親になった人にしかわからない」のと同じような感覚でしょうね。
このお経の中では「舎利弗(しゃりほつ)」という言葉がよく出てきます。これは、お釈迦様の十大弟子のお一人で、徳と智慧(ちえ:正しく物事を認識し判断する能力)に非常に優れた方でした。そんな舎利弗の智慧をもってしても、最高の教え・真理を知る事は困難だと言われました。それでも舎利弗は弟子達を代表して、何度もお釈迦様に「どうか私達にもその真理をお説きください」とお願いしましたが、お釈迦様はその都度、「やめましょう。もしこれを説いたなら、全ての人々はただ驚くばかりでとても信じられないだろう。」とお断りします。現代語訳を読んで頂けるとわかると思いますが、実は私達がよく読んでいる方便品は、この舎利弗さんに対して、お釈迦様がお断りしているシーンで、実際の方便品のほんの最初の部分です。
その後、あまりにも熱心な舎利弗のお願いに、お釈迦様もその気持ちに応える事にしたのですが、この後お釈迦様の案じていた事が的中してしまいます。お釈迦様がいざお話をされようとした時、その場にいたひとびとの中から突然、5000人のお弟子さん達が、スタスタとその場を立ち去ってしまったのです。彼らは自分達がすでに悟っている完成型だと思い込んでいた為、仏にしかわからないとプライドを傷つけられ、怒って去っていったのです。ちなみにこういう思い上がったプライドの高い人達の事を仏教では「増上慢(ぞうじょうまん)」といいます。私達の時代にもこの「増上慢」さんはチラホラ見かけますね。いつでも自分だけが正しく、絶対なのだから人の意見に耳を貸そうとしない、そして相手を見下してしまいます。そういう人が一人でもいるといつの世もその場の雰囲気は決して良い物ではありませんね。
お釈迦様は結局その5000人の人々に対して引き留める事はせず、「退(の)くのもまたいいでしょう。」とおっしゃったそうです。本当の真実というものは誰にでも聴かせるものではなく、まずは本当に必要としている人達に聴かせるものだとお考えになったのですね。「お釈迦様の教えはもうわかっている、これ以上聞く必要はない。」という考えの人と「お釈迦様が説かれるのだから、何度聞いてもいいし、また聞くたびにその教えが一層深くなるな。」という考えの人との違いで他人の言う事を謙虚に聞くという慎(つつし)みを持てるのかどうか・・それも教えの一つのはずです。お釈迦様はそんな聞く耳を持たず、もう他の何も入り込む余地がなくなっていった人々に、「それならもう聞かなくていいよ」とばかりに潔(いさぎよ)い判断をされたのです。さて、増上慢の人々が去って、本当に教えを求める人達だけになるとお釈迦様は「いよいよ説くべき時が来ました。この法華経はしばしば説かれるものではなく、3000年に一度しか咲く事がないといわれる優曇華(うどんげ)の花の様に、説くべき時が来なければ説かないのですから、心して聴くのですよ。」と語り始められました。きっとこの場にいた人達はワクワクした事でしょうね!
そしてお釈迦様は『出世の本懐(しゅっせのほんがい:仏様がこの世に生まれた真の目的)』を説かれます。それがお経本に載っている『欲令衆(よくりょうしゅう)』の最初の部分です。実はこれも方便品の一部なのです。ちなみに先程の5000人のお弟子さん達が去っていったお話等も方便品のお経として、元々の正式なお経本に載っています。
少々長くなってしまいましたが、次回はこの欲令衆の最初の部分の解説を書いていこうとおもいます。
2014年8月24日日曜日
お月見
『お月見』
お盆も終わってそろそろ秋の到来・・というにはなんだか梅雨みたいに雨ばっかりの福岡ですね。今回は少しばかり早いですがお月見について書いていこうと思います。
【十五夜とは?】
旧暦8月15日の満月の夜の事で、『中秋の名月』とも呼びます。秋の真ん中に出る月という意味です。今年は9月8日(月)です。
十五夜にお月見をする習慣は、中国では、唐の時代からの慣習で、里芋の収穫祭として行われたのが始まりです。その後宮廷行事としても行われ、日本には平安時代の貴族の間に取り入れられました。観月の宴や舟遊び(直接月を見るのではなく船などに乗り、水面に揺れる月を楽しむ)で歌を詠み、宴を催しました。次第に武士や町民にも広まり、農作物の収穫を感謝する行事へと発展し、現在に至ります。
元々、十五夜は旧暦の毎月十五日を指していました。月の満ち欠けを基準とする旧暦(太陰暦)では、満月は最もわかりやすい目印であり、生活の節目のよりどころとなっていました。1月15日の小正月や7月15日のお盆等、一年を通じて月々の満月を目印として行事が行われる事が多々ありました。つまり、元々十五夜というのは年に12~13回やって来る事になります。
では、なぜその中でも中秋の名月がお月見の十五夜になったのでしょう?中秋の時期は春や夏に比べると空気が乾燥し、月が鮮やかに見えるからです。冬の月は更に鮮やかに見えますが、寒すぎて鑑賞するには不向きなので、中秋をベストなお月見の時季としたのです。
[何をお供えするの?]
まず、縁側や窓辺など、月が見える場所にお供えします。そこに、ススキや他の秋の七草(萩・桔梗〈ききょう〉・葛・撫子〈なでしこ〉・女郎花〈おみなえし〉・藤袴〈ふじばかま〉)を花瓶に飾り、御酒や月見団子・餅(中国では月餅)・里芋・梨などその時期の農作物をお供えするのが本来のスタイルでした。最近は、お店で買ってきたススキと月見団子をお供えするだけの家庭が多いようですね。
ススキは秋の七草のひとつです。春の七草はお粥にして頂きますが、秋の七草は見て楽しみます。ススキは魔除けの力があると言われており、お供えしたススキを家の軒につるしておくと一年間病気をしないと言われています。
月見団子の個数は、その年の旧暦の月数というのが一般的で、通常は十二個、閏月(うるうづき)のある年は十三個お供えします。
日本版ハロウィンとも言える、『お月見泥棒』という風習が全国にあります。軒先や玄関にお供えした月見団子を子供達が盗み食いするのです。もちろん本当の泥棒ではなく、各家庭でその為にあらかじめ用意しておきます。団子は沢山盗まれた方が縁起が良いとされました。最近では、子供達にお菓子を配る場合もあるようです。
関西から中国地方にかけては、芋類の収穫を祝い、里芋をお供えすることから中秋の名月を『芋名月』ともいうそうです。
〈月に住むのはなぜウサギ?〉
この由来は、元々は仏教のお話からきたものです。「ジャータカ」という古いインドの物語に出てきた影響を受け、日本でも「今昔物語集」に献身的なウサギとして登場してきたことに始まりました。
昔々、天竺(現在のインド)にウサギ・キツネ・サルの三匹が共に熱心に仏教の修業に励んでいました。そこに今にも倒れそうな一人の老人が現れ、「養ってくれる家族もなく、貧しくて食べるものもない」と三匹に訴えました。そこで、サルは木に登って木の実を取ってきたり、里に出て里人の果物や野菜をかすめて老人に与えました。キツネは河原へ行って魚を取ってきたり、墓に供えてあった餅やご飯をかすめてきて老人に与えました。サルは枯葉を拾い集め、キツネがそれに火をつけて食事の支度を始めました。その一方で、ウサギは野を駆けずり回り東西南北あちこち探し求めましたが何も見つけられず、手ぶらで帰ってくるしかありませんでした。そんなウサギを見てサルやキツネはひどく罵(ののし)りました。しかしウサギは言いました。「確かに私は食べ物を奪って持ってくる力はありませんでした。ですから、この身を焼いてお食べ下さい。」と言うが早いか、ウサギは火の中に飛び込んでしまいました。
この様子を見ていた老人はたちまちにして、帝釈天という本来の神様の姿に戻り、全ての生き物達に、このウサギの善行の姿を見せる為に、月の中にウサギを移しました。月のウサギの周りに見える影は、ウサギが自分を捧げた時に出た煙だと言われています。全ての人が月を見るたび、このウサギの行動を思い起こすように・・。
お盆も終わってそろそろ秋の到来・・というにはなんだか梅雨みたいに雨ばっかりの福岡ですね。今回は少しばかり早いですがお月見について書いていこうと思います。
【十五夜とは?】
旧暦8月15日の満月の夜の事で、『中秋の名月』とも呼びます。秋の真ん中に出る月という意味です。今年は9月8日(月)です。十五夜にお月見をする習慣は、中国では、唐の時代からの慣習で、里芋の収穫祭として行われたのが始まりです。その後宮廷行事としても行われ、日本には平安時代の貴族の間に取り入れられました。観月の宴や舟遊び(直接月を見るのではなく船などに乗り、水面に揺れる月を楽しむ)で歌を詠み、宴を催しました。次第に武士や町民にも広まり、農作物の収穫を感謝する行事へと発展し、現在に至ります。
元々、十五夜は旧暦の毎月十五日を指していました。月の満ち欠けを基準とする旧暦(太陰暦)では、満月は最もわかりやすい目印であり、生活の節目のよりどころとなっていました。1月15日の小正月や7月15日のお盆等、一年を通じて月々の満月を目印として行事が行われる事が多々ありました。つまり、元々十五夜というのは年に12~13回やって来る事になります。
では、なぜその中でも中秋の名月がお月見の十五夜になったのでしょう?中秋の時期は春や夏に比べると空気が乾燥し、月が鮮やかに見えるからです。冬の月は更に鮮やかに見えますが、寒すぎて鑑賞するには不向きなので、中秋をベストなお月見の時季としたのです。
[何をお供えするの?]
まず、縁側や窓辺など、月が見える場所にお供えします。そこに、ススキや他の秋の七草(萩・桔梗〈ききょう〉・葛・撫子〈なでしこ〉・女郎花〈おみなえし〉・藤袴〈ふじばかま〉)を花瓶に飾り、御酒や月見団子・餅(中国では月餅)・里芋・梨などその時期の農作物をお供えするのが本来のスタイルでした。最近は、お店で買ってきたススキと月見団子をお供えするだけの家庭が多いようですね。
ススキは秋の七草のひとつです。春の七草はお粥にして頂きますが、秋の七草は見て楽しみます。ススキは魔除けの力があると言われており、お供えしたススキを家の軒につるしておくと一年間病気をしないと言われています。
月見団子の個数は、その年の旧暦の月数というのが一般的で、通常は十二個、閏月(うるうづき)のある年は十三個お供えします。
日本版ハロウィンとも言える、『お月見泥棒』という風習が全国にあります。軒先や玄関にお供えした月見団子を子供達が盗み食いするのです。もちろん本当の泥棒ではなく、各家庭でその為にあらかじめ用意しておきます。団子は沢山盗まれた方が縁起が良いとされました。最近では、子供達にお菓子を配る場合もあるようです。
関西から中国地方にかけては、芋類の収穫を祝い、里芋をお供えすることから中秋の名月を『芋名月』ともいうそうです。
〈月に住むのはなぜウサギ?〉
昔々、天竺(現在のインド)にウサギ・キツネ・サルの三匹が共に熱心に仏教の修業に励んでいました。そこに今にも倒れそうな一人の老人が現れ、「養ってくれる家族もなく、貧しくて食べるものもない」と三匹に訴えました。そこで、サルは木に登って木の実を取ってきたり、里に出て里人の果物や野菜をかすめて老人に与えました。キツネは河原へ行って魚を取ってきたり、墓に供えてあった餅やご飯をかすめてきて老人に与えました。サルは枯葉を拾い集め、キツネがそれに火をつけて食事の支度を始めました。その一方で、ウサギは野を駆けずり回り東西南北あちこち探し求めましたが何も見つけられず、手ぶらで帰ってくるしかありませんでした。そんなウサギを見てサルやキツネはひどく罵(ののし)りました。しかしウサギは言いました。「確かに私は食べ物を奪って持ってくる力はありませんでした。ですから、この身を焼いてお食べ下さい。」と言うが早いか、ウサギは火の中に飛び込んでしまいました。
この様子を見ていた老人はたちまちにして、帝釈天という本来の神様の姿に戻り、全ての生き物達に、このウサギの善行の姿を見せる為に、月の中にウサギを移しました。月のウサギの周りに見える影は、ウサギが自分を捧げた時に出た煙だと言われています。全ての人が月を見るたび、このウサギの行動を思い起こすように・・。
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