2014年10月1日水曜日

妙法蓮華経方便品第二について その①

前回からだいぶ間があいてしまってすいません。今回は妙法蓮華経方便品第二の現代語訳などを書いていこうとおもいます。かなりの長さになりますが、8月に書いた開経偈と共に、皆様がお経を読む時に少しでも助けになれば・・という気持ちを込めてお届けします。
今回は真読(しんどく)・訓読(くんどく)・現代語訳と少しずつ区切って書いていきます。多少見づらいかもしれませんが、ご容赦ください。

【妙法蓮華経方便品第二の現代語訳】

()時世(じせ)(そん)(じゅう)三昧(さんまい)安詳而起(あんじょうにき)(ごう)舎利(しゃり)(ほつ)
()(とき)()(そん)三昧(さんまい)より安詳(あんじょう)として()って、舎利(しゃり)(ほつ)()げたまわく、
その時お釈迦様は、瞑想(めいそう)を終えられて静かにたちあがられると、舎利弗(しゃりほつ)に向かってこう告げられました。

諸佛(しょぶっ)智慧(ちえ)(じん)(じん)無量(むりょう)
諸仏(しょぶつ)智慧(ちえ)(じん)(じん)無量(むりょう)なり。
あらゆる仏(悟った者)の智慧(ちえ:正しく物事を認識し、判断する能力)は他の人々にとっては想像もつかない位、とても奥深いものなのです。

()智慧門(ちえもん)難解難入(なんげなんにゅう)一切聲聞(いっさいしょうもん)辟支佛(ひゃくしぶつ)()()(しょ)不能(ふのう)()
()智慧(ちえ)(もん)難解難入(なんげなんにゅう)なり。一切(いっさい)声聞(しょうもん)辟支仏(ひゃくしぶつ)()ること(あた)わざる(ところ)なり。
仏の智慧に至るまで導いてくれるその門は理解しがたく、その中に入っていく事はとうてい難しいのです。教えを直に受けた声聞(しょうもん※1)の弟子や、一人で修業し、悟りを開いた全ての仏弟子(ぶっでし)さえも、それを知る事はできないのです。

所以者(しょいしゃ)()佛曾(ぶつぞう)親近(しんごん)百千萬億(ひゃくせんまんのく)無數諸佛(むしゅしょぶつ)
何以(ゆえ)(いか)ん、(ほとけ)(かつ)百千万億(ひゃくせんまんのく)無数(むしゅ)諸仏(しょぶつ)親近(しんごん)し、
なぜなら、どんな仏もかつて百、千、万、億、いや無数の仏の側(そば)に親しく仕(つか)え、

盡行諸佛(じんぎょうしょぶつ)無量(むりょう)道法(どうほう)勇猛(ゆうみょう)精進(しょうじん)名稱普聞(みょうしょうふもん)
()くして諸仏(しょぶつ)道法(どうほう)を行じ、勇猛(ゆうみょう)精進(しょうじん)して、名称(みょうしょう)(あまね)()こえたまえり。
悟りを得る為にとても沢山の教えを修行し、仏に尽くし、勇気を奮い立たせ、ひたすら精進したからこそ、その名前がこうして広くつたわっているのです。

成就甚(じょうじゅじん)(じん)未曾有法(みぞうほう)随宜(ずいぎ)所説(しょせつ)
(じん)(じん)未曾有(みぞう)(ほう)成就(じょうじゅ)して、(よろ)しきに(したが)って()きたもう所
そうしたとても深く、未(いま)だかつて示された事のない教えを全て成し遂げて、人々に対しては、聞く者の状態に応じて適切に教えを説いて来ましたが、

意趣(いしゅ)難解(なんげ)
意趣(いしゅ)(さと)(がた)し。
教え方は適切であっても、その説法の真の目的を理解する事は難しいのです。

舎利(しゃり)(ほつ)吾從成佛已来(ごじゅうじょうぶっちらい)種種(しゅしゅ)因縁(いんねん)種種(しゅしゅ)()()(ひろ)(えん)(げん)(きょう)
舎利(しゃり)(ほつ)(われ)成仏(じょうぶつ)してより已来(このかた)種種(しゅじゅ)因縁(いんねん)種種(しゅじゅ)()()をもって、(ひろ)(ごん)(きょう)()べ、
舎利弗よ。私は仏となって以来、様々な実例やたとえ話を用いて、広く教えを伝え、

無數(むしゅ)方便(ほうべん)引導(いんどう)衆生(しゅじょう)令離諸著(りょうりしょじゃく)
無数(むしゅ)方便(ほうべん)をもって、衆生(しゅじょう)引導(いんどう)して(もろもろ)(じゃく)を離れしむ。
巧みな方法を数え切れないくらい用いて、人々を悟りの道へと引き入れ、あらゆる執着から離れさせてきました。

所以者(しょいしゃ)()如来(にょらい)方便(ほうべん)知見波(ちけんは)()(みつ)皆已(かいい)具足(ぐそく)
所以(ゆえ)(なん)ん、如来(にょらい)方便(ほうべん)知見波(ちけんは)()(みつ)(みな)(すで)具足(ぐそく)せり。
なぜそのような事ができるのかというと、仏は人々を導く為の巧みな方法とそれを使うべき智慧を兼ね備えているからです。

舎利(しゃり)(ほつ)如来(にょらい)知見(ちけん)(こう)大深遠(だいじんのん)
舎利(しゃり)(ほつ)如来(にょらい)知見(ちけん)(こう)大深遠(だいじんのん)なり。
舎利弗よ。仏の智慧はこのように、限りなく広く深いのです。

無量無礙(むりょうむげ)(りき)無所畏(むしょい)禅定(ぜんじょう)解脱(げだつ)三昧(さんまい)深入(じんにゅう)無際(むさい)
無量(むりょう)無礙(むげ)(りき)無所畏(むしょい)禅定(ぜんじょう)解脱(げだつ)三昧(さんまい)あって(ふか)無際(むさい)()り、
すなわち、全ての人に福を生じさせる徳〈無量〉・教えを説く完全な自由自在の力〈無礙(むげ)〉・この世のあらゆる物事を知る力〈力(りき)〉・何事も恐れる事無く法を説く勇気〈無所畏(むしょい)〉・心の乱れを防いで静かに真理に思いをこらす境地〈禅定(ぜんじょう)〉・あらゆる執着から抜け出て真の安心を得る心の持ち方〈解脱(げだつ)〉・精神を集中してその一念を正しく保つ精神統一の方法〈三昧(さんまい)〉を全て備(そな)え、限りなく奥深い境地に入り

成就(じょうじゅ)一切(いっさい)未曾有法(みぞうほう)
一切(いっさい)未曾有(みぞう)(ほう)成就(じょうじゅ)せり。
今まで誰も究(きわ)める事の出来なかった教えの全てを成し遂げているのです

まだ途中ですがその②へ移ります。

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