今回の修行は第一段階的なものですので、基本的な作法や生活の仕方等を主に学びます。当たり前ですが、TVも携帯も腕時計もない中で生活の基本は半鐘の合図で動きます。そして一分一秒を無駄にしない事と“給仕の心”というものの大切さをよく指導されました。その中の一つである食事の際のお話しを少ししますね。
準備の時間はとても短いですが、全ての器の向きや配置をそろえる・・実際の日本の懐石料理のようですね。ここからもすでに“給仕の心”です。先生方に醤油差しや急須の口を向けない、ご飯やお茶のおかわりの尋ね方の作法等、普段慣れない一つ一つの事に気付かされました。
日蓮宗では頂きますの際に唱える食法(じきほう)というものがあります。
食法
(食前)
天の三光に身を温め、地の五穀に精神(たましい)を養う、みなこれ本仏の慈悲なり。たとえ一滴の水、一粒(いちりゅう)の米も功徳と辛苦によらざることなし。われらこれによって心身の健康をまっとうし、仏祖の教法(おしえ)を守って四恩に報謝し、奉仕の淨行を達せしめたまえ。南無妙法蓮華経。頂きます。
(食後)
お題目 三唱。ごちそうさまでした。

似たようなクレームのお話しですと、飲食店やタクシー等のマナーもよく問われるようになりましたね。「払ってやっているから」の気持ちがそうさせているのだと思いますが、これは間違いだと思います。私達が生活する上で誰かや何かの助けを借りる事は沢山あります。それに対して「して頂いた」とどれだけ思えるのかが、本当の心の豊かさを生むのだと思います。
修行の最終日にある先生がおっしゃっていました。修行は「させられている」と思うから、辛いとかきついとしか思えないけれど、「させて頂いている」と思うとそれが自然と楽しいものだと思えるそうです。私は修行に関してだけでなく、仕事や掃除や洗濯等何でもそうだなと思いました。それにむしろ、修行を受ける私達より、敢えて心を鬼にして細かいところまでご指導下さった先生方の方が大変だったとおもいます。今回の修行は終えてみると、“楽”ではなく、豊かになる為の楽しい学びの日々でした。
前回の追善供養についての続きは次回に書きます。
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