2015年1月24日土曜日

開運火焚大祭

1月11日11:00~ 
開運火焚大祭を行いました。
今回も大勢の方々にご参詣いただき誠に有難うございました。
恒例のお上人様による御祈祷の様子です。
しめ縄、お札等は無事に火に納めさせていただきました。
また、当日準備等お手伝い頂いた方々大変ありがとうございました。

バルーンリリース・初詣

ずいぶん遅くなりますが、年始のバルーンリリース・初詣の写真をアップします。

まずは、バルーンリリースから。
当日は風が結構あったので、風船が結構流されました。しかしまだ天候は良かったのが幸いでした。が、翌朝はというと・・・
一面の雪景色!!それどころか時折吹雪いたりしてました。こんな悪天候の中でもご参詣下さった方々本当に有難うございました。
また今年も当山のイメージキャラクターのぴかちゃんの墨絵を木村壱成様に描いて頂きました。ありがとうございました。

2014年12月29日月曜日

この一年間ありがとうございました

今年も残すところ本当にあと少しとなりました。この一年間このブログを見て下さった方々、本当にありがとうございました。正直、思いつくまま何となく書いたため、なんともまとまりのないものとなってしまいましたが、今後もこんな感じで書いて行こうと思います。来年以降もよろしくお願い致します。
さて、常光寺ではただいま新年に皆様をお迎えするための準備をしております。大晦日から元旦にかけて天気のほうが崩れそうですが、当山では12月31日深夜から1月3日まで、初詣のご参詣をお待ちしております。

昨年までの墨絵は霊光殿前に展示してあります。の墨絵は当山入口に展示します。



大晦日の夜には竹灯籠によるライトアップを行う予定です。

また、先着300名様に来年の干支である未の根付をお配りします。そして温かい縁引きスープを用意して関係者一同お待ちしております。


2014年12月18日木曜日

掃除と仏教について②

少し間が空きましたが、前回の続きです。

【お掃除と仏教のお話し②】
昔々お釈迦様の弟子に、ある兄弟がいました。兄の摩訶槃特(まかはんどく)〈マハーパンタカ〉はお経の勉強もよくできましたが、弟の周利槃特(しゅりはんどく)〈チューダパンタカ〉は、物覚えが悪くて、朝聞いた事も夜になると忘れてしまう位の人でした。その上自分の名前も覚えられず、背中に自分の名前を書いてもらい、人に名前を聞かれると、自分の背中を見せて名前を教えるほどでした。ですから他の弟子達からいつも馬鹿にされていました。余談ですが、野菜の『茗荷(みょうが)』「名を荷(にな)う」と書きますが、この由来は自分の名前を覚えられずいつも背中に背負っていた周利槃特のお墓から生えてきたそうです。昔から『茗荷を食べると物忘れをしやすくなる』と言われているのも、この周利槃特の忘れっぽい性格からきていたのです。

彼はそういう自分が情けなくなって、お釈迦様の所へ行き「こんな愚かな私はもうお坊さんをやめたいのです」と相談しました。するとお釈迦様は「本当に愚かな人は自分が愚かである事を知らない人です。お前はちゃんと自分を知っている。だからお前は愚かではないよ。」と言って、彼に一本のホウキを持たせて「綺麗にしよう」という言葉だけ教えたのです。周利槃特はそれから何年も、その短い言葉だけを忘れそうになりながらも繰り返し言いながら掃除をし続けました。ある日、いつものように庭を掃いていると、お釈迦様が「ずいぶん綺麗になったね。だけどまだ一カ所だけ汚れている所があるよ」と声をかけたのです。

周利槃特は不思議に思い「どこが汚れているのですか」と尋ねましたが、お釈迦様は教えてくれません。「はて、どこだろうなあ?」と思いながら、それからもずっと「綺麗にしよう」と言いながら掃除を続け、結局何十年も経ったある日「そうか、汚れていたのは自分の心だったのか」と気付いたのです。その時、お釈迦様が彼の後ろに立っていて「やっと全部綺麗になって良かったね」と言いました。この時、周利槃特は皆に好かれる誰よりも心の優しい人になっており、阿羅漢(あらかん)という聖者の位に就きました。

皆さんも、その状況を想像してみて下さいね。最初は掃き方も下手で、わけも分からずに一生懸命掃いているのです。しかし、そのうちに掃除にも慣れてきて「あの隅っこが汚れているぞ」と気が付いたり、掃いてもしばらくするとまた汚れてくる事や、「綺麗に掃けたなあ」と思っても、光が差し込んでくると空気中にいっぱいのほこりが浮かんでいるのが見える。その中で「いくら掃いても綺麗にならないものだなあ・・。あっ!自分の心もそうじゃないのかなあ」と、気付いたのです。「お釈迦様はなぜ自分に掃けといったのか。それは結局『自分の心を掃け』ということだったのだなあ」と悟ったというわけなのです。


現代社会では『思いやり』という言葉が存在しますが、この『思いやり』の訓練を何日も、何年も、いや生涯続ける事が出来れば、周利槃特が阿羅漢になったように、誰でも人を引き付ける立派な人格を身につける事ができます。『成功に秘訣というものがあるとすれば、それは他人の立場を理解し、自分の立場と同時に他人の立場から物事を見る事の出来る能力である』自動車王ヘンリーフォードの言葉です。思いやりこそ、人生を成功に導く鍵なのですね。

思いやりに限らず、このお話は『一人一人がするべき事をひたすら一生懸命諦める事無く実行していけば、その結果は必ず素晴らしいものになるんだよ』というお釈迦様から私達へのメッセージなのではないかと思います。

2014年12月2日火曜日

掃除と仏教について①

今年も残すところあとわずかとなりました。みなさんのご家庭でも年末になると大掃除をする事と思いますが、今回は掃除と仏教について少し書いて行きたいと思います。

【掃除は修行】
昔から、日本仏教世界の日頃の修行として「一、作務(さむ) 二、勤行(ごんぎょう) 三、学問」といわれてきました。まず、1番が『作務』です。作務とは掃除や片づけ、庭の草取りや、昔ですと薪を割ったりお風呂を沸かしたり・・簡単にいうと、体を動かす作業の事です。その中でも作務の代表格は掃除です。皆さん『作務衣(さむえ)』という言葉の方が馴染みがあると思いますが、これは元々お坊さんがこのような作業を行う時の服装から来たものです。現在は一般の方々も着ていらっしゃったり、時には飲食店の制服にもなっていたりして、お寺以外でも目にする機会が増えましたね。
2番目の勤行とは、お経を読む事です。そして最後の学問はお経や仏教に関する知識のお勉強です。今の時代なら「一に勉強、二に勉強、掃除なんかしなくて勉強しなさい」と言われそうですが、お寺のお坊さんは掃除が1番です。仏教は人格を完成させる為の教えで、その手段としてお経を読んだり知識を得る事も勿論大切なのですが、「なんだそんな事」とおろそかにされがちな掃除などが、実は心を磨くのに大変重要な事なのだと教える為に作務はお坊さんの勤めの1番になっているのです。

【身の周りを磨くのは心を磨く?!】
仏教のお話ではありませんが、作務に繋がるお話です。
日本には昔から剣道・弓道・柔道・茶道・華道など○○道といわれる武術や稽古事がありますが、それらの稽古の前と後には必ず稽古場の掃除をします。例えば剣道にしてみれば剣の奥義を極める事は即ち、人間の奥義を極める事で、その為に道場の清掃は極めて大切な修行なのです。学校では毎日生徒が掃除をし、学期末には大掃除を行いますね。それはただ綺麗にする、というだけでなく『人の心を磨く』という重要な意味が込められているのです。

【お掃除と仏教のお話①】
インドやタイなどの仏教僧は掃除などの労働はしません。日本や中国の僧侶は作務といって労働をします。いつ頃からかどのように変わったのでしょうか。
それは中国の唐の時代、達磨大師(だるまたいし)から8代目の百丈懐海禅師(ひゃくじょうえかいぜんじ)からだといわれています。百丈禅師は西暦800年頃に百丈清規(ひゃくじょうしんぎ)といわれる禅道場の修行の規則を作られた方です。現在でも、禅宗の修行道場の規則はこの清規の基づいています。
それまでの修行僧は労働には携わっていませんでしたが、百丈禅師は作務の中に宗教性を見出し、修行に作務を取り入れました。百丈禅師は95歳の天寿を全うされたという方で、高齢になってからも修行僧と一緒に作務に従事し、1日も怠る事がありませんでした。しかし弟子達は、老体の禅師が作務に励んでいる姿を見てその身を案じ、何度も作務を休むようお願いします。ところが禅師は聞き入れません。そこで弟子達は相談し、禅師専用の作務の道具を隠してしまいました。「道具がなければ禅師が作務を休まれるだろう」という弟子達の考えです。作務の合図の鳴らし物の音を聞き、出てきた禅師は、自分の道具がないので部屋に戻りました。それから以後、膳をすすめても決して箸を取りません。老体の禅師の身体を心配して道具を隠して休んでもらおうとしたのですが、かえって食事を摂らなくなってしまい、弟子達は困惑しました。
それが3日も続き、とうとう1人の弟子が「和尚は3日も食事を摂られませんが、なぜですか」と問いかけました。その時の禅師の答えが『一日不作一日不食〈いちじつなさざれば、いちじつくらわず〉』との一言。「私は今日1日何もしなかったのだから、今日は食べる事をやめにしよう」というのです。驚いた弟子達がすぐに道具を整えると、禅師は喜んで作務に出て、それ以後は平常のように食事も摂るようになったそうです。
この『一日不作一日不食』という言葉は『働かざる者食うべからず』とは違います。前者は『今日一日、私はこの食事が頂けるだけのつとめをして来ただろうか?』と自分で自分を反省し、律していくのに対し後者は、『お前は今日一日この食事を頂くだけのつとめをして来たのか?』と他人によって律せられる、という意味になります。自ら進んで食事を抜く断食と、他人から強制的に断食をさせられるのでは、同じように見える断食でも大変な違いがあります。
例えば、人が見ている前ではゴミはゴミ箱に捨てるけれど、見ていなければポイっとそこら辺に捨ててしまう・・。こんな身近な事も周りによって、ではなく自分自身の心がけが問われる事ですね。

次回もう少しこのテーマで書いて行こうと思います。

2014年11月23日日曜日

七五三について

少し遅れてしまいましたが今回は「七五三」について書いて行こうと思います。

七五三の由来
七五三とは、七・五・三歳の子供の成長を祝う行事です。十一月十五日、もしくはその周辺の日に行いますが、この由来は今から約400年前にさかのぼります。後の五代将軍となる徳川綱吉は虚弱体質でした。そこで、五歳のお祝い事である『袴着(はかまぎ)の儀』を慶安三年の十一月十五日に盛大に行ったのが始まりです。この日は特別な日でもありました。袴着の儀はその時、暦でいう『鬼宿日(きしゅくび)』に当たる日を選んで行われ、まさに十五日がその日でした。この鬼宿日は古法二十七宿と違い、当時取り入れられた中国式の二十八宿の中では、最も素晴らしい日と言われていました。
また旧暦の十一月はちょうど刈り入れも過ぎ、一段落する時期でもあり、霜月(しもつき)祭をする月です。霜月祭はその月の満月の日である十五日に氏神様へ収穫の感謝を兼ねて子供の成長を感謝し、ご加護を祈ります。
十一月十五日というのは当時の暦法や、生活の目印として重要な月の満ち欠けを考えても行事には最適な日だったのですね。そして、明治改暦以降は新暦の十一月十五日に行われるようになりましたが、現在は日にこだわらず十一月中のいずれかの日で行われることが多くなりました。

なぜ祝うのは三・五・七歳?
これは日本が奇数を陽数、偶数を陰数といい、奇数を縁起の良い数と考える中国の影響を受けていた為です。元旦をはじめとする節句が奇数であるのはこの考え方からきています。
近代以前の日本は疫病や栄養失調による乳幼児死亡率が高く、七歳まではまだ人としての生命が定まらない「あの世とこの世との境に位置する存在」とされ、「いつでも神様の元へ帰りうる魂」と考えられていました。その為、一定の成長が確認できるまでは、人別帳(当時の戸籍簿)にも記載されず、七歳になって初めて人として迎え入れられました。男児が女児よりも早く祝うのは後継者としての意味合いもありますが、医療技術が発達するまでは女児よりも男児の方が生存率が低かった為です。
七五三には、それまで子供が無事に生きてこられたという感謝と、これからも幸せに、長生きが出来ますように・・と切に願う強い思いが込められているのですね。

儀式の方法

〈三歳(男女)=髪置(かみおき)・櫛置(くしおき)〉
昔は、幼児の髪の毛は男女の区別なく剃っているのが普通でした。これは頭髪から病気がくると考えられていた為です。そして三歳になって初めて髪を伸ばすようになります。これを祝ったのが髪置の儀式です。「子供が白髪頭になるまで長く生きられるように」という願いが込められ、糸で作った白髪のかつらや綿帽子をかぶらせる事もありました。

〈五歳(男)=袴着〉
初めて袴をつける儀式で、幼児が童子になる為の通過儀礼の一つとされており、元々は男女共に行っていましたが、後に男児のみの儀式のなっていきました。

〈七歳(女)=紐落(ひもおとし)・帯解(おびとき)〉
それまで着物を留めるのに使っていた紐を大人が使う帯に変える儀式です。この時に初めてお化粧をする事が多く、「大人の女性として認められるようになる」といった意味が込められています。

《千歳飴》
七五三に欠かせないのが千歳飴ですね。子供に千寿の願いを込めて、細く長くなっており(直径約十五ミリ以内、長さ一メートル以内)、縁起が良いとされる紅白色で着色されています。だから、飴を入れる袋も、鶴亀や松竹梅等の縁起が良い絵が描かれています。
千歳飴は江戸時代、浅草で飴を売っていた七兵衛という人が紅白の棒状の飴を「千年飴」「寿命糖」と名前を付けた長い袋に入れて売り歩いたのが始まりだとされています。

七五三は神社だけではない?!


七五三といえば、神社に行って参拝するのが一般的だと言われています。しかし今日ではお寺や教会で行う一風変わった七五三が人気を集めているようです。
特に日蓮宗では、「恐れ入谷の鬼子母神」で知られる、鬼子母神様を祀っている寺院が多く、この鬼子母神様というのは、法華経信者の守護神であると共に、子授かり・安産・子育ての慈愛の神様であり、子供の祈願に参詣される方が沢山いらっしゃいます。もちろん、この常光寺にも祀ってあります。
大切なお子様の成長の祝福と祈願を、鬼子母神様に参詣する事で、周りとは違うオリジナル七五三を楽しまれてはいかがでしょう。ちなみに、お寺で行う七五三は「お宮参り」ではなく「初参り」といいます。

2014年11月15日土曜日

日蓮聖人の生涯③

前回に続き日蓮聖人のお話しです。

【身延山での不思議なお話し①】
日蓮聖人の布教(宗教を弘める事)中に、山伏の善智法印(ぜんちほういん)が聖人に術くらべを申し入れました。法印は祈祷によって大石を地上3メートルの空中に浮かせました。しかし、聖人は全く動揺せず「その石をおろして下さい」と言いました。法印がいくら祈祷しても石をおろす事はできません。そこで聖人が「南無妙法蓮華経」を唱えるとスッーと大石は地面におりました。恐れをなした法印は、その場で日蓮の弟子になる事を誓いました。
内心、怒りの治まらない法印は後日、聖人に毒入りのぼた餅を差し上げました。勧められるがままに、聖人がぼた餅を食べようとしたその時、どこからともなく1匹の白い犬が現れました。聖人は「お前も食べたいであろう」と、ぼた餅を犬にあげたところ、一口食べた犬は血を吐き、たちまちに絶命してしまいました。この光景を目の当たりにした法印は観念し、心から詫び、弟子入りをお願いしました。聖人は日傳(にちでん)と名を付け、法印を弟子にしました。身代わりとなった犬は、身延山の麓に埋葬され、聖人は杖に使っていた銀杏の枝を墓標として逆さに立てて冥福を祈りました。ところが数年後、そこから芽が出て、枝が下を向く「逆さ銀杏」となり、現在では大木に成長し、天然記念物に指定されています。


【身延山での不思議なお話し②】
日蓮聖人が56歳の頃、見慣れない顔の美しい少女が度々お説法を聴きにきていました。ある日、お話しが終わると聖人は「もうよい。本当の姿を現しなさい。」と少女に言いました。少女は「すみませんが、一滴の水を頂けませんか。」といい、聖人は花瓶の水を振りかけました。すると、たちまちに少女は龍の姿となり「私はお釈迦様の使命を受け法華経守護の為に遣わされた七面天女(七面大明神)です。これから、七面山(ななめんざん)〈身延山の隣の山〉に住みお力になりましょう。」と言い残すと七面山の頂上に昇っていきました。
その後、法華経の守護神である七面大明神として現在も信仰されています。


さて、昨年当山で行いましたカウントダウンのバルーンリリース、好評につき今年も行います。先着100名様限定となっておりますので、お早目にご連絡下さい。ご予約された方は、当日(12/31)23:20までに当山までお越し下さい。受付にて、お願い事用紙・風船をお渡しします。お申込みは1回1000円(御祈願料含む)です。尚、雨天・荒天の場合は中止とさせていただきます。何卒ご了承ください。

TEL:(092)531-0618 FAX:(092)531-9084

お越し頂いた方には、縁引天玉(えんびきてんのう)様の縁結びにちなんだ縁引スープをご用意しております。ぜひ皆様お誘い合わせの上ご参加下さい。